=Flame of The Original Sin=


U.





 数日前の雨とは打って変わって、清々しいほどに晴れ渡った青空がなんとも目に染みる本日。
 東方を預かる軍の司令部の一室にて、これまた珍しく机にかじりついて仕事をする司令官の姿があった。
 その人を見る周囲の目は温かくというより『また何か企んでるんじゃ?』という疑いの眼差しが強く、特に彼をよく知る直属の部下たちはそれはそれは注意して上司を見ていた。だが彼はというと、やはり仕事を仕事としてきちんとこなそうとしている様子で、恐ろしいくらいに黙々と書類の山に向かっている。

「どう思う、フュリー曹長」
「えっ。どうって……」
 建物の配線が一部故障しているとの連絡を受けて、現場に向かおうとしたフュリーは、上司と同じくデスクワークに取り組む(ように見せていると思しき)ハボックに呼び止められた。
「大佐だよ、大佐。大将たちも出てって、大総統ご一行もセントラルに戻られて、其の後さ。
 今日で三日目。あんなに真面目モードな大佐が続くなんて今まで無かっただろ?」
 咥えた煙草をヒョコヒョコ動かしながら、器用にしゃべってくるハボックに対し、フュリーは一つ溜息を吐き出した。
「少尉……そんなことを考えている間にココを片付けられたほうがいいんじゃないんですか?」
 フュリーが指差して指摘したのは、ハボックの机に重ねられた書類の山。今日中に回さなければならないものが半分。後は三日後とか一週間後とか急がないものも混じって30センチ分の空間は占拠している。
「先程司令室を覗きましたが、大佐はこれの五倍くらいの書類を片付けておられましたよ」
 別段怒ってはいないが、言外に「貴方ももっと仕事をして」と言っているようだ。
 そんな返事が返ってくることが面白くなくて、ハボックは眉間にしわを寄せ、煙草を新しく咥え直した。
「だあ〜もう! そういう事を今言いたいんじゃねえよ」
「じゃあ、何なんですか?」
「大佐の様子が変じゃないかって聞いてんだよ!」
 流石に其の言葉は無視できなくて、フュリーはまじまじとハボックを見た。
「変とは……どういうことですか?」
「よーく考えてみろ。”あの”大佐が休みもなしにずっと机にかじり付いて書類の整理に追われて、しかもそれらは今日明日の締め切りはおろか一週間先のものまで片付けてるって言うじゃねえか!」
 一気に言い放ったハボックは、逆にフュリーをじっと見る。
「そう言われると……」
「だろ?」
 うーんと二人唸るところに背後の扉が開く音がした。
「どうしたんだ、お前ら。なんか深刻そうな顔してるぜ」
 部屋を離れていたブレダとファルマンが戻ってきたので、ハボックはここぞとばかりに二人を捕まえフュリーのときと同じ質問を仕向ける。フュリーと同じく唸る二人を含めて大の大人の男が4人、額をつき合わせて仕事もせずにあーだこーだと議論を交わし出す事となった。やはり今まで部屋を離れていたホークアイが戻ってくることにより、彼等が心底恐怖感を味わうことになるのは数分後の事であるとも知らずに―――。










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 様々な憶測を飛ばしている部下たちと打って変わって、上司であるロイは脇目も振らず事務処理をこなし続けていた。副官であるホークアイはそれこそ容赦なく次から次へと仕事をもってくるのだが、二つ返事でそれを引き受け、大抵のものはその日に終わらせてしまう。
(やっぱりこの人ってやれば出来るんだわ…)
 ホークアイの心の呟きは直接本人に伝わることはない。
 ただ其の視線に気付けばロイも彼女の本音に気付いたかもしれないが、そんな余裕すら彼は見せない。
(でもこのまま行くと、身体を壊しかねないわね)
 彼の体調を案じたホークアイは、とりあえずもってきた書類をサイドテーブルに置いて、息抜き用のコーヒーを運ぼうと部屋を後にした。
 彼女が出て行くときの扉の閉まる音に、ふと反応して顔を上げたロイは、じっと茶色い木目のそれを見つめて軽く息を吐く。

 誰かが自分のもとを去っていく

 そんな錯覚がして、思い出したくないことを思い出してしまったのだ。机にへばりつくように前に寄せていた身体を革張りの幅の広い椅子にもたれさせ、視線を天井へと向ける。
 別に何もない。そこには何もないけれど、彼の視界の裏でつい数日前の物事が思い返される。

 去り行く彼。

 己を拒否する背中。

 虚ろな瞳にはっきりと見た、”不信”の感情。

 あのイシュヴァール戦争の折、自分が何をしたか、誰を殺したかをあの兄弟は知った。
 自分は決して彼らの事を忘れては居ないのだ。それどころかその名に四六時中うなされた時期もあったほどで、今だ消えぬトラウマとなった。
 エルリック兄弟の父親、ホーエンハイムの友人宛てに来た手紙を目にした時は、これを逃す手はないと兄弟に会うとの名目で医師夫婦の故郷を訪ねた。見れば、差出人の住所が行きたいと想う場所と同じであったから。

 私が殺した彼らの家族は、一体どんな暮らしをしているのだろうか。と。

 ただ確認が出来ればよかった。そこでエルリック兄弟の人体練成に立ち合わせたのは全くの偶然だ。と、そこで考えてはいけないであろう事を思いつき、ロイは自嘲の笑みを洩らす。
(まるであの医師夫婦が私と彼らを引き合わせてくれたようじゃないか)
 なんて都合のいい事を考えてしまったのだろう。
 それこそが自分が傲慢な人間であることを示しているではないか。
 ロイは久々に湧き上がってきた嫌悪感と嘔吐感に、しばし目を閉じて体を落ち着かせた。
 そういえば、朝から何も食べてなかったような気がする。

―――彼等は、元気で居るだろうか―――

 償えぬ罪に身を浸して、彼は大切な人の安否を何より想う。

―――まっすぐ前に進めているだろうか―――

 その背中を押してあげたいのに、自分はその道を塞いでばかりいるような気がする。
 だからこそ、願ってしまう。
 どうか彼らが無事であるようにと。





 まっすぐ進め。迷うことなく。自分たちの望みを叶えるために。

 私が君たちのその行く先を見届けることは、もう出来ないだろうから。

 君が私を拒絶する。

 もうその”手”に触れることも、赦されないのだろうね―――。










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 深夜、満天の星々に見惚れながら、エドワードは一人ベランダの手すりに寄りかかっていた。
 3日前にリゼンブールに入ったエルリック兄弟はその間、昔馴染みのロックベル家に世話になっている。明日には修理された機械鎧が装着できるとの事。これで明後日には故郷を発つことになるので、また暫くは帰って来れない事を思い、ベランダから村の様子を一望していた。
「そんな格好してちゃ風邪引くよ」
「ピナコばっちゃん」
 後ろから声をかけてきたのは、その業界では有名なのだと聞いたことのあるピナコ・ロックベルである。見た目からはそんなことは全く感じられないのだが、彼女がいい仕事をするのは確かなことだ。徹夜に近い状態で作業をしてくれている彼女とその孫であるウィンリィだが、今は休憩時間なのか、煙管をふかしながらエドワードに近づいてくる。
「いつも世話かけるな」
 エドワードは笑って、ピナコに詫びる。
 ピナコもニッと笑って返した。
「いいんだよ、そんなことは。それよりも風邪を引くと言っているだろう。ちゃんと髪くらい乾かしな」
 ピナコがそういうのも無理は無い。
 エドワードは風呂上りで、髪も乾かさず、簡単にシャツ一枚にズボンの軽装で外に出ていたのだ。時折下から吹く風に、解いたままの金糸の髪が揺れる。
 今が寒い時期ではないとはいえ、やはり田舎の夜というのは冷え込むもの。孫とも思っている少年の心配をするが、当の本人には全く何処吹く風で気にした様子が微塵も無い。
「だ〜いじょうぶだって。そんなんで体壊す柔なタマじゃないぜ」
「よく言うよ」

 二人はそう言い合って、暫く外の景色を眺めていた。
 僅かに無言の時が流れて、ふと言葉を発したのはエドワードのほうだった。
「ピナコばっちゃん………俺、一度不思議なものを見たことが有るんだ」
「不思議なもの?」
「うん、あの………ある人が俺だけにって見せてくれた。
 すっげぇ綺麗なんだ。
”焔”で出来た星なんだよ」
「焔?」
 スパーッと煙草を吸い込み、煙を吐き出すとピナコは疑問符をエドワードに向けた。
「うん。ここの星空に比べたら全然規模なんて小さいんだけどさ、真っ暗な部屋の中に、ランプの明かりくらいの焔がこう、頭の上一杯に100も200も光ってたんだよ」
「よく分からないんだが」
「ん〜と、だから、ほら、今俺たちの上にあるあの天上。あそこに光ってる星の一つ一つが焔で出来てたってことだよ。あれに似た光景がそいつの部屋にあったってことさ。星じゃなかったらそうだなぁ……。
 蛍火ってとこかな? 」
「そりゃまた危なそうだね。火の粉が飛んでるようなものじゃないか」
 エドワードは彼女の率直な意見に、くすりと笑う。そのときのエドワードの双眸はどこか遠くを見ているようだった。見たことの無い彼の様子に、ピナコはなぜか不安感を拭えない。
「ははっ。ばっちゃんもそう思うよな。俺もそう思ったよ。仕組みは全然わかんなかったけど、とにかくそこかしこに光ってるのが全部”焔”だって言うんだから、俺も危ないって言ったんだ。そしたらそいつ、なんて言ったと思う?」
「?」
「『この焔に巻かれて死ぬのならば、それも運命だろ。私らしくて良いじゃないか』だってさ」

「そいつは……」
 エドワードの話に、ピナコはようやくそれが誰の事を言っているのか悟り始めた。
 彼女もその人の事は知っている。彼女の大切な家族を、危険な軍のお膝元に持っていった赦し難い男だ。
 だがどうだ。少年が彼の話をすれば、その表情に見えるのは嫌悪ではなく、安堵。優しい少年だとは知っていたが、こんなに柔らかい笑みをする子だっただろうか。



 エドワードはここ数日迷っていた。
 気付けば信頼していた人に、酷く裏切られたような気がしていて、そこを離れる時には全く視線も合わせずに去ってしまった。きっと彼を傷つけている。そう分かっていてもまともに顔など見られない。見ればどんな顔をするか、何を言うかなんて、自分にも分からなかったから。だから、逃げるようにして東方司令部を後にした。
 だが予定外に途中立ち寄った村での一人の男の話。ずっと警護と称して自分たちに付き添うアームストロングという人物の人となり。そしていつか見たロイの研究室での光景を思い出し、エドワードはもう一度自身の考えを思い直したのだ。

 大佐は一体、どんな思いでその引き金を引いたんだろう―――。


「なあ、ばっちゃん……」
「なんだい」
「もし、もしさ、おじちゃんとおばちゃんを殺した奴が目の前に現れたら、ばっちゃんはどうする?」
 急な話題に驚いて、ピナコはエドワードをじっと見た。そしてその瞬間に聡い彼女は、エドワードが言わんとすることを悟る。
「………なんだい、急に………」
「もし俺がそいつの横に一緒に居たりしたら……やっぱ俺の事も嫌になるよな?」
「エド……!」
「軍っていうのは、そういう所だからさ……」
 エドワードはそれ以上、何も語らなかった。ピナコも何か問わなければと思いこそすれ、どうすればいいかも分からず、作業場へと戻っていく。たった一言だけ言い残して。
「それでもあんたはアタシの孫だよ」


「サンキュ、ばっちゃん」
 ピナコの優しさには何時だって癒される。
 彼女に心から感謝しつつ、今更のようにかの軍人の言葉を思い出して、エドワードは苦笑せずには居られなかった。
「案外不器用だよなぁ」
 それはその場には居ない青年に向けたもの。
 ほんの2、3年前の記憶。





『な…んだ、これ………』


 暗室かと思われた部屋に一斉に現れたのは、星ではないけれど星のごとく煌く光たち。エドワードは心からの感嘆の声を上げた。
 自然には決してみることは出来ない光景に、目を見開いて驚く少年をロイは嬉しそうに見つめる。
『私以外にこの部屋に入ったのは君が初めてだよ、鋼の』
 先程の食事で酒をたしなんでいた彼はどうやらほろ酔い加減だったようで、何時にもまして楽しげに笑う。
『こりゃ確かに凄いけど……危なくねぇ? 落ちてきたらどうすんだよ』
 頭上に浮かぶ焔の球体を一つ一つ眺めながら言われた事に、ロイはただ笑って返した。
『それはそれでしょうがない。この焔に巻かれて死ぬのならば、それも運命だろ。私らしくて良いじゃないか』
『大佐?』
 いつもと違う彼の様子を不自然に感じる事に、そう時間はかからなかった。
 何時の間に装着したのか、発火布の手袋を纏った右手でパチンと鳴らすと、また一つ、新たな焔がその姿を現す。


 うっとりとそれを眺めて、ロイは言葉を紡ぐ。

『なあ、鋼の。”鬼火”という言葉を知っているかい?』

 そう言う彼の放つ笑みは、まるで悪戯を仕掛けようとする子供のようだった。






 今まで賢者の石探しに忙しくて、そんなことがあった事をすっかり忘れていた。
「………馬っ鹿野郎」

 馬鹿な男の、下手な芝居を思い出して、エドワードは一人微笑む。
 次に再会した時は、きっと彼の瞳をまっすぐに見られるはずだ。
 そしたら、なあ、大佐?












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が、頑張りました。結構アキ的には早い更新です☆(それってどうよ)
ヘタレな大佐を目指したんですが、どうでしょう? ストーリーの基本はアニメ版なのですが、エド君に関しては原作設定の方が好きなので、すでに性根が回復しております。この辺が曖昧(苦笑)いや、原作を見る限りヘタレな大佐もありえないとかって思うんですけど・・・(笑)



2004.02.15