其のいつか見た光景は鮮烈に己の中に刻み込まれた。



 感動とあまりの驚愕に、泣きたい気持ちになったのが忘れられない。



『な…んだ、これ………』



 眼前に広がる星々のごとき輝き。

 近づくと暖かいそれは、

 彼の苛まれ続ける良心だったのかもしれない―――。












=Flame of The Original Sin=






 恋愛は先に本気になったほうの負けだというが、どうやらそれは本当らしい。

 だって自分はこんなにもあの子に惚れ込んでいる。

 己の過去を知ることにより離れていってしまうのではないかと

 心の底から恐れるくらいに―――。







 東部の将校たちは雨の中”傷の男”を追い、ドクターマルコーを探していた。
 十数台のジープを繰り出し、隠れているらしき街中を走り回る。
 自分たちの命を危険に陥れる男を見つけねばならず。
 あわよくば、7年前に脱走した国家錬金術師を無事に『保護』できるようにと。

 東方司令部を預かるロイ・マスタング大佐も、当然この街へ乗り込んでいた。
 一台のジープに、隣にはホークアイ中尉を座らせて、運転席にはハボック少尉を当てている。もう一台、後ろの車にはヒューズ中佐と共にブレダ少尉、ファルマン准尉、フュリー曹長が乗り合わせているはずだ。
 はっきり言って乗り気ではなかったが、上司の命令では逆らうことが出来ない。それが軍隊というものなのだと重々分かっていながらも、やはり憮然としてしまう。自分が知りながらも見逃した、心優しき錬金術師を、出来ることなら自分の手で保護したいと思いながら、マスタングは車を走らせていた。
 彼は思う。
 あの人は貴重な人材だ。
 あの狂気と血と焔にまみれた世界にあって、選ぶべき道を間違えなかった。
 彼のような人間こそ、この世界には必要なのだ。

 世界が欲するのは、血に塗れた己の手よりも彼である。

 だから―――

(ここでまた彼を軍に捕らえさせる訳にはいかない)

 どうにかして自分が一番に見つけたいと、己の頭脳を最大限に生かしながら、マスタングは町の奥へと進んでいく。







 同じ時、エドワードは思わぬ衝撃に体を震わせていた。

”イシュヴァールの虐殺”

 人の命を奪い、全てを奪い、未来を潰し、

 人という存在を悪魔へとならしめる、確かなる狂気に満ちた世界のあらましを―――。

 語るドクターマルコーの背中は、どこか遠くのもののように見えた。
 降りしきる雨が容赦なく三人の全身を濡らしていくが、それぞれが全く気にも止めず、そして動けなくなる。
 市街の裏道を彷徨って、ふと見つけた空き地に戯れる子供たちの存在すらなぜか遠い。何か言葉を返したいのに、喉の奥が詰まったように、何も声にすることが出来ない。
「マルコーさん……」
「エドワード君、私は彼に殺されても仕方がないんだ」
 うめくように、けれどしっかりした口調で語る彼の苦しさが、深く胸の奥底にまで届いてくる。
 戦争中、ずっと軍のやり方に反発をし、人としてあるべき姿を、とるべき行動を訴え続けていたドクターマルコー。誰も傾ける耳など持たない歪んだ世界の中で、端から嘲笑する者を彼は、なんと可哀相な者たちだと哀れみさえした。
”凡人”が”殺戮者”へと変わる事が当たり前の異空間の中で。
 それでも人としての自分を捨てなかったドクターマルコーは、ロイ・マスタングという協力者を得て軍から抜け出す。
 イシュヴァールへの仕打ちを彼が直接下したわけではない。だが、それら全てを自身の罪とし、この壮年はただただ悔い改める思いでこの街に医者として尽くして来たのだ。

 こんなにも尊い人を、軍は今捕らえ連れ去ろうとしている。

 やるせなさと憤りがエドワードの全身を染めあげていった。
 顔が紅潮していくのが自分でもわかる。



 この人を易々と軍に渡してはいけない―――っ。

 同じ事を考えている軍人が居ることなど知らぬまま、エドワードはこの時軍を自分たちの敵と見なしていた。
 敵であるならば戦うか、逃れるまで。
 だがこの壮年に戦えというのは無理なのだから、ならば、どうやって彼らの手から逃げおおせるのか?
「……マルコーさん、俺たちの故郷に行かないか?」
 エドワードはふと思いついたことを彼に提案した。あそこは本当に東のはずれにある村で、それこそ主だった機関が訪れることも無ければ、情報すら入ってくるかどうかも分からない、そんな所だ。あの村だったらマルコー一人、匿ってくれるのではないだろうかと、少年は考えたのである。
 マルコーはいぶかしむように少年の顔を見上げる。
「何にも無いとこだけど、良い村だぜ。ここから三日くらいあれば汽車でいけるし、な?」
 後ろに立つ鎧姿の弟に同意を求めるしぐさでコンコンと胸部を叩くと、弟もうんと頷いて返した。
 地面にうずくまりながら少年の案に最初は頷いていたマルコーだったが、話を進める内になぜか突然『行けない』と激しく拒絶し始めた。
 マルコーの顔が痛ましいほどに蒼白になっていく。
「わ、私はそこには、行けない……っ」
 そしておもむろに立ち上がったかと思うと、なんと走り逃げ出していくではないか。
「ちょっ、マルコーさん!!」
 エドワードにも、アルフォンスにも、一体なにが起こったのか分からなかった。
 男の背中がどんどん遠のいていく。
 どうしたというのだろう。何かまずいことでもあっただろうか。
 二人だけでは沸きあがった疑問が解消されるはずもなかったが、其の答えはすぐに知れることとなった。
 まずは一目散に逃げる彼を、見逃すまいと追いかける。

 どこかで、銃声を耳にしたような気がした。









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 咎メラレナイ 罪ニ 裁カレル 日ハ―――






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 雨がやまない。
 頭のてっぺんから顎を伝って地面に雨粒が落ち、小さな波紋を作る。
 壊された腕の付け根は痛いはずも無いけれど、痺れた感覚がエドワードを襲っている。
 さっきまで死を覚悟していた。
 あの瞬間さえも、すでに遠い過去のように思えて仕方が無い。

 雨がやまない。降り止まない。
 大粒の雨 雨 雨 雨。
 冷たく心を伝っていく―――これは本当に雨なんだろうか……。



(嘘……じゃ、ないんだな……)
 エドワードは立ち上がることが出来なかった。
 雨粒が容赦なく彼らの身体を濡らし体温を奪っていく。
 集まる憲兵たち。壊された市街。暗くよどむ天空。降り続ける雨。
 周りの全てが、自身にとって意味をなさないものとしてエドワードの脳に認識される。
 ただ、ただ何も考えられなかった。

 それは弟の鎧を壊され、己の右腕を破壊された事によるショックからではなく、”傷の男”と対して感じた恐怖心が拭いきれないからでもない。
 スカーが行方をくらまし、弟に叱咤されて、『それでも生きてる』とまた一つ二人で前に進んでいくことを再確認した其の時、大総統秘書官と名乗るものがマルコーを迎えに現れて。
 立ち上がれずじっと見上げてくるエルリック兄弟にマルコーは一瞥もせず、素直に秘書官の下へ向かっていった。
 すれ違い様、思いも寄らぬ告白を残して。
「私は君たちの故郷には行けない」









「私たちが殺した医師夫婦、彼らの名は『ロックベル』と言った」












 ああ、神様というものが本当にこの世に居るのなら、彼はなんて悪戯好きなんだろう。
 そんな皮肉さえ浮かんでくるような真実。
 エドワードは疲れたように俯いた。其の顔にはなんの表情も見られない。それすらも疲れたという様子に、アルフォンスですら軽く声をかけることが出来なかった。

 マルコーが語った、イシュヴァールの惨劇。
 国家錬金術師による彼らへの虐殺行為。
 罪の無い人々が殺されていく非情な世界。
 敵に”加担した”とされ、ロイ・マスタングに殺された二人の医師夫婦。

 其の医師の名が”ロックベル”だとマルコーは言う。

(そんなのってアリかよ………)
 其の名を自分はよく知っている。
 自分がつい先程口にしたばかりの、とても近くて大切な、かけがえのない存在の家族たち。
 小さな時からずっといつでも一緒に居た、彼ら以外に一体誰が居るというのだろう。
 まだ自分にも母が居た頃、幼い彼女は泣きながら叫んだではないか。
『お父さんとお母さんが……イシュヴァールで…………!!』


 もう自分は振り向けない。
 自分の後ろで声が聞こえたから。
 軍を指揮する、同じ国家錬金術師の銘を冠する男の声が。
 今は見たくないと思った。
 一体どんな顔で、どんな目で、彼を見てしまうか自分でも分からなかったから。
 今は何も信じられないと思ったのだ。

 そうだ、自分は何処かで反発しながらも、あの男を信じていた。
 決して優しくなど無かった。
 それどころか、的確に自分のプライドを逆なでさせては己の駒として自分を利用してきた司令官。
 嫌みったらしい笑みで自分を見下ろしてくるのを見るたびに『軍人なんて』と吐き出したくなるような事ばかりだった筈なのに。

 なのに時折、

 本当に切ないと思えるほどに、

 優しく自分を見たりするから。



(冗談じゃない……っ)

 信じられない、信じたくない、信じられるものかっ!!
 その葛藤が否応無くエドワードの胸を苛んでいく。
 たった一人の弟が、母の声がしたと言う。いつもだったら冗談だろうと笑い飛ばすか、もっと親身になって聞いていたに違いない。だが今のエドワードにそれだけの反応を返す余裕もなかった。馬鹿なことを、と何の確認もせず素っ気無く流してしまう。
 ただ、自分の背中の向こうにある世界を、何一つ見たくなかったのだ。

 だからエドワードは知らない。

”ロックベル”の名を聞いたマスタングが、どんなに苦しそうな表情を見せていたかなど。

 この時、目を背けていた少年が決して知ることなど無く……。












next...






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や、やっぱり続いてる……(泣)
最近どうしてもキリのいいところで頁を変えるクセが付いてしまって
……申しわけありません(平謝)
かつ!アニメ設定で話を進めているにもかかわらず、台詞をきちんとチェックできていないことを深くお詫びいたします!彼らの台詞に多々誤りがあるかと思いますが、何卒お許し下さいませ!!(土 下 座)
そしてまだ本題に入れてないところが……;;;




2004.02.10