=2.哀しみに生まれるもの=


≪救済者10の御題≫





「なにをボンヤリとしている、馬鹿弟子が」
 ふと背後から聞こえた声にただ反応して後ろを振り返った。

 先程まで自分は何をしていたか、よくよく思い出せない。
 ただ夕方までは部屋の掃除やら食事の用意やら、アレンの師となったクロス・マリアンの指示通りにやるべきことをこなしていた。大体のことは終わらせて少し休みたいと自室に戻ると、窓から差し込んでいた月明かりがとても強くて、何だかそれを見ていたいと思いベッドに腰を下ろした。
 窓のある壁にぴったりと設置されているベッドなので、当然靴は脱いでベッドの上に乗り上げると両足を抱え込んでじっと外を見つめる。
 誰も歩かない町の歩道。
 立ち並ぶ家屋は青白く映し出され、暗いはずなのに白い世界だとアレンに思わせた。
 月明かりに浮かぶ天井はその光の眩さに星はほとんど見えない。

 静かな世界だと思った。

 何も考えられなくて、ただじっとしてたのだがどれくらいの時間が経っていたのかは分からない。
 けれどクロスが自分の部屋に訪れたという事は、かなりの時間が過ぎていたのだろう。
 これで4回目だ。
「……すみません、師匠。ちょっと休憩しようと思って……お風呂の用意がまだでしたね」
「誰もそんな事は言ってねえだろ」
 不機嫌そうに煙草を咥えてずかずかと入ってくる赤毛の神父の頭上には金色のゴーレムがちょこんと乗っかっていた。
「ティムが動かん貴様を心配して俺を呼んだんだ」
「えっと……」
「お前、またあの日の事を思い出していたのか」
 それは質問というよりも断定的な口調で。
 だから、いいえ、とアレンは答えた。
「いえ、そんなんじゃ」
「じゃあなんだ」 「……」
「お前はどうしたい」
「……えっと、師匠が何をおっしゃりたいのかがよく……」
「何にもない外の世界眺めてお前は何がしたいんだ」

 お前も虚無の世界に行きたいのか?

「キョム……?」
「ふん」
 なんだろう、思考がうまく回っていない気がする。
 否、考える事を脳が否定しているようだ。
 考えれば考えるほど、深みにはまりそうで、それが怖い。
 じっとアレンを見ていたクロスは、どかりとアレンの横に座ると壁に背を預けてまた一本煙草に火をつける。
 そうして月明かりの中、たゆたう煙を見つめていたアレンの腕を、神父はぐいっと引き寄せる。
「うわっ」
 態勢を崩したアレンの身体はそのままクロスの腕の中に抱え込まれた。
「し、師匠……?」
「うるせえよ。もうお前外は見るな」
 アクマに見つかってもしらねえぞ。
「アクマが……現れるんですか」
「奴らは生きている人間を殺したくて仕方がないからな」
「僕……」
「お前は馬鹿だから、今のままじゃ壊す前に逆に壊されるだろうよ」
「そんなこと」
「じゃあ、今のお前を支配しているものは何だ?」
 アレンはそれこそ首をひねった。

 自分を支配しているもの?

 なんだろう。

 月の光が、とても、綺麗で。

 その静けさが、いつかの夜を思い出させた。

「ししょお……」
「嵌るなよ」
 アレンを抱きしめる腕に力が込められたような気がして。
 甘えても良いのだろうかとアレンもクロスの背に腕を回す。
 そうしたら神父なのに彼の身体から慣れた煙草のにおいがした。
「師匠、なんだか心の中がからっぽなんです」
「馬鹿弟子が」
「これってなんでしょう」
「さあな。ただ」
「ただ?」
「また今度同じようなことになりそうだったら、ちょっと俺も方針を変えなきゃならんだろうな」
「何の話ですか?」
「お前には関係ない」
 背中をぽんぽんと二度軽く叩かれて、それがとても優しかったから、アレンはそのまま眠りに落ちてしまった。


 ったく、世話の焼ける。
 クロスはようやく眠りに着いた子供を寝かせるでもなく、触れている体温が妙に心地よいので自分に寄りかからせたまま、クロスも動こうとしない。
 アレンがただじっとこの部屋で何時間も外を見つめていたなんて、知らぬは本人だけである。
 あの日から約一ヶ月が経つが、アレンは気がつくと無気力感を漂わせていた。
 ふとしたときに見せる表情は雪の日に見つけたあの時と何も変わらない。
 己の犯した罪の意識と悔恨に抉られた胸の傷は、こんな子供ですら地の底へと引きずり込もうとする。

 危険だな。

 左目のことも気になった。
(マナよ……まだこいつを連れて行くなよ)
 あの雪の日に与えられた哀しみが、一日も早く癒されるように。

 でなければ。

 また近く。

 アクマはこの子供に囁きかけるだろう。

『愛しい者に――会いたくはないか?』







→3



お題いただきましたvv→Vacant Vacancy




2008.10.30