=1.闇=


≪救済者10の御題≫





 何も見えず、何も感じず、どこまでも深く深く沈む空間。
 それが闇だと思っていた。
 けれど、あの人を見ていると、それも少し違う気がしてくるのだ――。



 僕が初めて師匠のアクマ退治を目にした時。
 すらりとコートの下から引き抜かれた対アクマ銃に思わず見とれた。
 アクマに居合わせた時刻は夜もだいぶ遅くて、少し欠けた月が随分と明るく世界を照らす。
 天上からの光を反射するその武器はとても美しかった。
 闇と同じ黒一色のコートに黒の帽子を被った師匠。
 ただざんぱらに伸ばされた赤毛のなびく様が意外と絵になるものなんだな、と戦闘が行われている場所からだいぶ離れたところで僕は待機しながらそんな事を考える。
 僕の左目だけに見えるアクマに囚われた悲しき魂が、解放されて天に召されていくのが見えた。


 ああ、なんて安らかな笑顔で、昇っていくのだろう。


 我が養父はいまだこの左目に生きていると言うのに……。


「また何か下らん事を考えていたな、アレン」
 いつの間にか師匠が近くに来ていた。
「別に……なんでもありません、師匠」
 普通に応えたつもりだったのに、相手はふうと一つため息をつく。
「おい、昨日も言ったが俺はお前を弟子にするかどうかなんてまだ決めてないと言ったはずだぞ」
 学習能力がないのか、お前馬鹿だな、と散々に言われてしまった。
「どうして駄目なんですか? 僕は貴方に着いていきますよ」
 そもそも貴方から誘ってきたのに、と続ければ相手は更に苦虫をつぶした顔で考え込んでしまった。
「……やはり、そうなるのか……」
「どうしてそんなに嫌がるんですか? 僕の……やっぱり気持ち悪いですか?」
 左手が、と心の中で呟けば、本当にお前馬鹿だな、と肉声で返ってきた。
「本気でそんな事を考えているのか」
「思いませんか?」
「思ってたらお前に声なんぞかけるものか」
 つまり見た目的に気に入らなければ手を差し伸べる事すらしなかったかもしれないと言う事なのか。
「なんか、それ、ひどいです……」
「ああ? なんか文句あるのか馬鹿弟子」
「ばっ……ええっ、最初からそんな呼び方されるんですか僕!」
「ふん、お前なんぞ馬鹿弟子で十分だろ」
「ひどいです師匠!」
「いいか、最初に言っとくけどな、俺は潔癖の綺麗好きなんだよ。もし俺の周辺汚してみろ。タダじゃ置かんからな」
「言ってる意味が分かりません!」
「俺は貴様の世話なんぞせんぞ。生活費は工面してやるが、それ以外は自分でやれ。俺は俺のやりたい様にやる。エクソシストの事も……まあそれはおいおいだな」
 ポケットから取り出した煙草に火をつけ、思い切り吸い込んだ師匠はほんの少しだけ夜空を見上げて。
 また僕へと視線を戻す。
 僕の、左手へ。

 しゃがんだ師匠はおもむろに手に取ると、掌に埋まっている十字型のそれになんとキスをした。
 僕はたぶん、顔を真っ赤にしていたのではないかと思う。
 覚えている限り、マナですらそこまでした事はなかったから。
「あ、あの……っ」
「覚えておけ」
 なんですかと首を傾げれば、闇を恐れるなと言う。
「恐れるべきでもあるが、逆に愛しいと思えるときもある。アレン、お前は特に”闇”と近しい。だが逃げるなよ。逃げれば更に深みにはまる」
 だからただ進んで行け、と言われた時は泣きそうになった。

 なんでこの人マナと同じ事を言うんだろう。

「は、はい」
 頷いた僕に満足したのか、師匠は立ち上がって「行くぞ馬鹿弟子」と言うなり歩き出した。
 僕は慌てて師匠の後を追いかける。
 気付けばずっとティムキャンピーが隣についてくれていた。



 常に僕は闇の広がる世界が隣り合わせ。
 それすらも見抜いて師匠は手を引いてくれている。
 この左手は僕自身。
 送られたキスの温かさは、ずっと胸の奥にしまってある。
 誰の手も届かない、僕だけが持つ闇の世界の中に――。












お題いただきましたvv→Vacant Vacancy




2008.10.30