=スキのカタチ=

2.






 ただ触れるだけのキスがアレンからクロスへと与えられた。
 恋人同士が交わすような甘いものが出来るはずもなく、アレンに分かるはずもない。けれど『口付けをかわしたい』と思うのは間違いなく人間の本能。それにしたがって起こされた行動にクロスは咎める気は全くなかった。

 こんな美味しい場面を逃す必要はない。

 クロスは元来女好きだが、同じような衝動が同姓に対して向けられた事は一度もなかった――アレンと出会うまでは。
 そもそもがまだ10代前半の子供で、それでいて自分と同じ男で、それこそ範疇ではなかった人種に、クロスは随分と気を向けるようになっていたと言っていい。
 だからアレンのことはよく分かる。
 マナの教育が良かったのか、それとも生まれつきか、何かと前向きに考えられるアレンといるのは楽だった。共に旅をするようになってから最初の一ヶ月はアレンもなかなか落ち込むことが多かったが、ある日を境に随分と笑うようになり、そしてそれが本来のアレンの姿なのだと分かるのにそう時間もかからなかった。

『師匠! またお酒ですか!』

 煩せえ俺の勝手だと何度も言っても同じ事を繰り返す。お酒の飲みすぎは身体に毒です、いつか絶対倒れますよと本気でクロスに突っかかってくる。

『勝手に僕のお金使いましたねっ。返済用にとっておいたのに……』

 修行の範疇外だったが思いがけなくカードのイカサマを覚えた弟子は時おりこうして金を稼いできた。普通であればこの時点でクロスの元から逃げ出していてもおかしくないと思うのだが、少年は周りのもの全てを受け入れて前に進もうとする。まあ、カードに関しては本人も結構楽しんでいる節があるので問題はないだろう。それにいざという時にはそれで食いつないでいけるはずだ。

『師匠……どうして自分に対してはものすごい綺麗にしたがるのに、煙草の灰は床に落とすんですかっ』

 折角掃除したばっかりなのにひどいです! と怒鳴られたのはつい最近か。
 本当に随分と表情を見せるようになった。
 普段は怒るか笑うか。
 アクマを破壊させたときはそれらの表情が全て消えて、ただ遠くを見つめている。
 恐らくは過ぎ去った、けれど忘れられないあの雪の日を思い出しているのだろう。

 全てを愛おしいと感じるようになったのは、何時からだったか。

「アレン……」
 こんな渡りに船はない。
 触れるだけのキスを終えて少し離れたアレンの顎に手を掛け、僅かに口の隙間を開けさせると、今度はクロスから唇を重ねた。躊躇することなく舌を差し込みアレンのそれを捕らえようとする。
「んっ……」
 無意識に逃げ腰になる子供にクツリと笑みを漏らして、さらに口内を蹂躙し始めた。ざらりと上あごを舐めるとアレンの肩がびくりと反応する。身体を硬くする子供の背に手を回してなでてやると、少し力を抜いて寄りかかるように体重をかけてくる。アレンは首に回した腕を解かない。
 逆にクロスが煽られるように腕に力を込めると、深くキスを与える。
(反応がいいな、こいつ)
 恐らくは初めてであろう体験に頬が赤いのは、アルコールだけが原因なのだろうか。
 分からないが、それでもアレンが今の状況を喜んでいる事だけはしっかりと伝わってきた。
 時おり絡める視線に満足しながら、いつまでもクロスはアレンとの行為に酔いしれた。


 一しきり堪能して名残惜しそうに離れる互いの唇。
 子供でもこんなに色香が出せるものなのかと、濡れるアレンの口元を目にしてクロスは僅かに苦笑を漏らした。
 身体の芯に熱が篭っているのが分かる。これで相手が女であれば何が何でも押し倒すだろうに。
 まさか我が弟子に欲情してしまうとは。
 顎に一筋残る唾液をクロスは己の舌で舐め上げる。
「ししょお……」
 初めての深い口付けに瞳を潤ませる馬鹿弟子は。
「なんだ」
 潤む瞳の周辺に水分を溢れさせて。
「し……しょお……うっ……ひっく……」
 回していた腕を戻して右手を目元にあて、こぼれる涙を抑えるような仕草を見せる。
「おい、アレン?」
 それまでの様子とは一変したアレンの様子にクロスは驚いた。
 下瞼から涙が頬を伝って落ちていくのをただ見ているのが勿体なく感じられて両の手を頬に添えると、堰を切ったように溢れだす。
「おい、アレ……」
「うわああああん!! ししょおひどいですう!!」
 なんとその場で泣き出してしまった。
 クロスの嫌いなものには当然のように『泣きじゃくる子供』も入っている。どう対応すればいいのか全くもって分からないからだ。
 未知の生物の突然の号泣に、実は動揺していたのだと後になって気づくのだが、今のクロスにはそこまで考えられなくて、ただ目の前の子供をどうしようかと考える。
 まさかキスしたのが嫌だったんじゃないだろうな!
 実はこんな泣き顔も可愛いなんて絶対本人には言わないけれど、ティムキャンピーが録画していればいいと思う。
 なんて考えてしまったのは脳内が現実逃避を始めている証拠といえた。

「おいっ、アレン! 何を泣くっ」
 もしこれで本当にキスがいやだったなどと言われたら、それこそ男の沽券に関わる。
 基本的にクロスは根っからの色好きだ。かなり若い頃から色事に傾倒しているだけあってヤるのは上手い。これで先程までの行為を否定されようものなら己のプライドに傷がつく。それは女性相手だけではなく少年であっても同じことのようだ。

 しかし子供の口から出てくる台詞を聞いていると、クロスの懸念は外れのようである。
 出てくる小言はいつものようにお酒ばかり飲んでだの、女の人捕まえてばかりだの、少しは真面目に働いてきたらどうだとまで言われて、その内義父のマナの事にまで触れてきた。
 そこではたと気付く。もしやとクロスの背中に嫌な汗が流れ始めた。


 マナぁ、どうして僕をおいて先に逝っちゃったの、マナを壊してごめんなさい、ゴメンナサイ、僕絶対エクソシストになるから、ごめんなさい……。  そこからはもう言葉にもならない色々なことがアレンの口から発せられて止まる気配は微塵も見せない。ロザンヌの事しかり、借金取りの事しかり、それに伴って迷惑をかけた宿屋の事だったり、世話になった心ある人たち云々、よくぞそこまで覚えていられたものだと誰もが思うだろう。

 先程の濃密な雰囲気は一体どこへ。
 脱力したクロスは皮手袋をはめた手で顔を覆い見えない天を仰いだ。
「こいつ泣き上戸かよっ!!」
 もしかして今日は厄日なのかと本気で落ち込みそうになったクロスは、ぱたぱたと近づいてくる聞きなれた音にハッとする。
 ちらと横を見ればやはりティムキャンピーなのだが、さてその手に持っているものは何だ?
「おい、ティム、それは……」
 気付いたときには間に合わなかったようで、ティムキャンピーはクロスの膝上で未だに泣き続けるアレンに手(?)のものを差し出した。
「ティム?」
 恐らく、アレンが泣いてばかりいるので「これ飲んで落ち着いて」という気持ちでもってきたのだろう。

 その瓶のラベルには『ロマネコンティ』と銘が印字されていないか?

「あ……りがとう、ティム……ぐすっ……いただきます」
 しかしアレンはそんなものには全く気付いていない。
「おいティム! っじゃなくて、あ……」
 なんだその早業は!
 自分のすぐ目の前にあった瓶の中身は、ラッパ飲みするアレンの胃袋にぐいぐい流されていった。
 あまりの衝撃にクロスの手足は完全に固まった。
 それは自分が楽しみに取っておいた、それこそ年代モノの極上品。
 隠しておいたはずなのにティムキャンピーには全く通用せず。
 ていうか、俺の酒!!
「ぷはー」
「アレン貴様――っ!!」
「はれ? お部屋がぐるぐる……」
「当たり前だこのクソガキッ!!」
 完全に急性アルコール中毒を起こしているであろうアレン・ウォーカーを、クロスは容赦なく蹴り飛ばした。

『良い子』はけして真似をしないように、とティムキャンピーはこの瞬間の映像を自己消去する。
 なんか大変な事になっちゃったな、くらいは思っているのかもしれない。












→3.





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良い子は本当にこの馬鹿師弟の真似なんてしないように!


2008.9.27