=スキのカタチ=

3.






 おや、とアレンは内心首を傾げる。
 ふわふわと浮遊感が全身に漂う。
 自分は寝ているのか、起きているのか。
 はたまた起きているのか夢の中なのか。

(ま、どれでもいいや。このままでいられるなら)

 よく分からないけれど、とても心が軽いと感じられた。それまで溜まっていた胸の中のものが綺麗さっぱり流されたように気持ちが軽い。
 自分の頭をなでてくれて感触がする。誰だろうかと考えるが、目を閉じているので分からない。
(……マナ?)
 養父はよく自分を褒めて頭をなでてくれた。そうされる事が好きで、もっと頑張ろうと思ったことが何度もある。
 けれども今日のはちょっと違う。
 なでる掌は時おり左の頬に触れてきた。
 額から顎までかかる呪いの傷跡に、そっと触れてくるのだ。
(マナ……マナ……僕は、歩き続けるから……)
 声にならない悲痛な思いが、一粒の涙となって流れ落ちた。
 涙の筋を拭われる。
 誰だろうかと重いまぶたを僅かに開けて視線を彷徨わせた。
 ロウソクのほのかな明かりに見えたのは、消えかかる炎よりも更に赤みを帯びた髪の色。
 それだけ確認できるとアレンはほっとして、もう一度目を閉じた。





「あーたーまー痛いーーっ」
 目覚めた瞬間にそれだった。
 思考回路がまったく働いていない。
 窓からの強い日差しに無理やり覚醒を促されたアレンは目覚めてから状況把握に少々手間取った。
 昨日もたしかティムキャンピーと留守番をしていて。
 あまりの空腹にケーキをいただいて。
 えーっと、それからどうしたっけ?
 て、この状況何!?
「な、なんで僕縄で縛られて……って、いたっ、いたたたたっ」
 頭が痛い。割れるように痛い。
 なんだよこれとなぜかヒリヒリする双眸で周囲を見れば、雑然とした部屋と、最後まで燃え尽きてしまったロウソクに――。
「お、オハヨウ、ゴザイマス…………シショウ」
 一応基本的な挨拶はすると”おそよう”の間違いじゃないのか馬鹿弟子が、と気分絶不調な時の声音で返事が返ってきた。
 アレンは今椅子に括りつけられた状態で、机をはさんで椅子に腰掛けているクロスと対峙している。
「……あのう……コレは一体……」
「ほう、昨日の乱痴気騒ぎを全く覚えとらんのか馬鹿弟子が」
「僕……一体何したんでしょう……」
 頭の痛さと師からの冷たすぎる視線に、アレンは急速に下がっていく体温を感じていた。
「何をしたか? そんなもんは自分のスカスカの脳みそで考えろ」
「……ハイ」
 なんだろう、今日は類を見ないほどに視線が痛い。

「俺は今日から一週間アンナのところに行く」

「ハイ」

「その間に一か月分の稼ぎを取って来い」

「えっ!? っだだだ、い、一週間で一か月分!?」
「あと俺が居ないからって部屋を汚くするんじゃねえぞ。ティムが見てるからな」
「えっ、ちょっと待ってくださいよ師匠! 何がどうしてそうなるんですかっ」
「だからさっきから言ってんだろ」

 テメエで思い出せ。

 こ、怖い!
 高すぎるノルマにひいひい言いながら働かされるよりも、見張りつきで家の事やらされるよりも、いやいや、左手を使う訓練の時だってそこまで”怖い”と思ったことはなかった。
「それとだ、アレン」
「は、はい……」
「今後一切、酒類は取るな」
「は? お、お酒……?」
「分かったのか分からんのか! どっちだ馬鹿弟子っ!!!!」
「わっ、分かりましたっ今後一切酒類は取りませんっ!!」
 きっとYESと言わなければ殺される!
 まさに鬼のような気迫のクロスにアレンは勢いで諾と返事した。
 それなら良い、とクロスの先程の剣幕はどこへやら、いつもの嫌味な笑みを浮かべてじゃあなと部屋を出て行こうとする。
 ちょっと待ってくださいよこの縄はっ? とアレンが焦って引き止めると、閉じかけの扉の向こうからクロスが振り返る。
 凶悪な表情の上に尚のこと嬉しそうな笑みを浮かべて「自力で頑張れよ」とクロスは今度こそドアを閉めてしまった。


 酷いですししょお――っ。
 弟子の叫び声がアパートの階段にまで響いてくる。
 ふん、知るか馬鹿弟子。
 一晩添い寝してやったこっちの身にもなりやがれ!

 散々な一晩だったと思い返すクロスだったが、舐め取ったアレンの涙の味だけは覚えておいてもいいかと一人ほくそ笑み、町の中へと繰り出していくのだった。












fin.





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本当言うと最初はアレ師気味な師アレを目指そうと思ったんですけど、全くもって生かされませんでした☆



2008.9.27












〜ちょっと後日談でおまけ〜




「ししょおお〜」
「なんだ」
「勝手に死んで姿消しちゃうなんてひどいですう」
「ああ、悪かった悪かった。それでもこうして帰ってきただろう?」
「は、はい……ぐすっ……」
「お前の泣き上戸は変わらんなぁ、馬鹿弟子」
「だ、だって……だって……ししょ……」
「もう泣くな。ほら」
「うわっ。師匠ってば、涙舐めてもしょっぱいだけですよ」
「惚れたやつのもんならな、何だって格別な味がするんだよ。いい加減学べ馬鹿弟子が」
「ほ、惚れたって……ぐすっ……それって僕のことですか?」
「今この部屋に居るのは誰だ」
「僕と、師匠と、ティムキャンピーです」
「それなら間違いないだろう」
「う……うええん……ししょお〜」
「ああもうほら、いい加減泣き止めアレン。今日はそんなに飲ませてないはずだぞ」
「飲んでなくたって泣きますよ!」
「…………」
「僕は、師匠が死んでないって信じてました」
「ああ」
「毎日毎日、祈るみたいに僕もティムも……泣いて当たり前です!」
「ああ、そうだな」

 愛しい人の無事を祈り、信じて、出会えた事に感謝し涙する。

 そんな当たり前の感情が凍ったはずの胸の中に溢れて止まらない。

「本当にもう泣きやめ、アレン。俺は泣いてるのよりも笑ってるお前が見たい」
「――――はい」

 久方ぶりに見た笑顔は、いつの記憶よりも幸せそうで愛おしかった。





夢だけなら見てもいいですよね。