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=鬼火のゆく坂= 魂に背負うもの 5. 半兵衛たちが向かったのは、村の子供たちが指し示した“鬼火”の見える山だった。 「実を言うと他のやつからも鬼火の話は聞いちゃいた。しかし俺はそんなもん信じねぇ性質でな。自分の目で見えるもの以外は信じられねぇだろ?」 「でも子供の言う事は聞くのかい?」 慶次が尋ねると、ああと頷いた。 「子供はな、まず疑うって言う事をしらねえ。見たままをそのまま口にするのよ」 だから確信を持ったという。 半兵衛一行が歩いてきた一本道は村をはずれ、そのまま薄暗い雑木林へと続いていった。 日もほとんど沈み、東の空はすでに星が見え始めている。互いの顔もそろそろ見えにくくなってきた中で、頼りになるのは半兵衛が手に持つ提灯の灯りただ一つである。 「そいじゃ俺たちは後ろのほうであんたについていく。犯人はできる限り生け捕りにしてくれよ。ちゃんとお裁き下さなきゃ、村のやつらが納得しねぇ」 「承知しているよ」 頷いた半兵衛が一人道の先を進んでいく。 幾分灯りが小さくなったところで、政宗、小十郎、慶次、そして伊達の兵士数人がゆっくりと林の奥へ足を進めた。 「なあ、伊達男さんよ」 声をできるだけ潜めて慶次は隣の男に声をかけた。 「なんだ」 「襲われた女性って言うのはどんな人なんだい?」 「ああ。一人目は五作のとこので、二人目がうちの使用人の娘だ。三人目はいつきと一緒に来ていたあっちの村の娘で、まあそこまではな」 「四人目は相手が悪かった?」 「伊達の分家の娘だ」 ああ、と慶次は納得した。 怪我をしたのは四人目の女性と聞く。ならば武士の面子にかけても犯人を捕まえなければ天下に示しがつかない。一人目でしっかり動いてればそんなことにはならなかっただろうにな、と心の中で思った慶次だが口にはしなかった。 「Ha! 言いたい事は分かってるぜ、歌舞伎者の兄さんよ」 随分と情けない話だぜ、と政宗が吐き出すように苦言をもらしたのとほぼ同時。 自分達の先に見えていたはずの明かりが瞬時に消えたのだ。 「小十郎!」 「は! おいっ、用意してたやつに火をつけろ! 賊のお出ましだ!」 「半兵衛!!」 動きの早かった慶次を先頭に男達は一斉に走り出した。 事が起こるほんの少し前にさかのぼる。 一行と離れ、先頭を行く半兵衛は右手に重箱、左手に提灯を掲げて夕刻の道を歩き続けていた。 先ほどから己の感覚に引っかかるものが付かず離れず纏わり付いてくる。 (居る……) 実際今日動いたところで本当に犯人が捕まるかどうかも分からないと最初から期待はしていなかったのだが、どうやら自分達はついていたらしい。 二、三日は女装を覚悟していた半兵衛はほっと胸を撫で下ろしながら、周囲へと神経を張り巡らす。 人数は3人。意外と場馴れしていそうだ。 武器を用意しておいて良かったと、もう一度自身の状況も確認しておく。一応何があるかは分からないので、使い慣れた間接剣でも特に小さめで細身のものを選んで懐に忍ばせておいた。これでいつでも応戦できるというものだ。 賊であろう者達がわずかな気配だけで目立った音も立てずに近づいてくる。 (この暗闇で動く事にもなれている……訓練を受けた兵士……落ち武者か) そこまでの結論を導き出した半兵衛は一つだけ深くため息を着いた。 豊臣が治めたこの国の、今からという時にこんな賊な真似をしなければ生きていけない輩がいるとは。はっきり言えば今回の事はこの国全体で起こりうることであり、自分達が行き当たったのも、確立で言えばいくらでもありえることだったのかもしれない。 (あの内乱の後遺症ということか。確かにこれは諸国を見歩く必要があるかもしれないな) すでに意識を先へ先へと飛ばしていた半兵衛だったが、感覚の先で相手が動き出した事を察知すると瞬時に全身を戦闘態勢に切り替えた。 ざざざっ。 飛び出してきた男達はぼろぼろになった鎧を纏い、落ち窪んだ目を一様にこちらに向けて畜生のごとく襲い掛かる。 「その荷を寄こせ!」 「さもなくばお主の命をいただくぞ!」 悪党の決まりきった台詞に、いつもの半兵衛ならば冷ややかに一言二言苦言を発して薙ぎ倒しているところだ。 しかし今回はそのあまりの衝撃に一瞬動く事ができなかった。 わずかな灯りに見える鎧は赤の下地に黒光りの見慣れた鉄鋼。 目に映った賊の顔は記憶にある。 己が見込み、斬り込み隊にと育てた兵士の中にこのような男が居なかったか。 まさか、まさか―――っ。 「っ……おのれ!! その体たらくを僕の前に見せるか!!」 許すまじっ。 手に持った荷物を音立てて投げ捨て、隠し持っていた間接剣を躊躇うことなく振り払った。 いつぞやの戦で、姿の見えなくなった兵士の安否を気遣う友の姿が蘇る。 『どこにもおらんのかっ……ええい、不甲斐なしっ!』 責めるのは見えぬ兵にではなく、守れなかった己自身。 そんな秀吉にどうしてこれを伝えることができようか。 半兵衛の剣に弾き飛ばされ地に手をつけるその男たちは、この奥州での戦において共に戦場を駆けた豊臣兵であり、半兵衛の目に映るのはそんな彼らのなんとも落ちぶれた姿だった。 「ぐあっ」 女からの攻撃を受けた男どもは軽々と薙ぎ倒された。 突如身の上に起こった衝撃に、地に伏せた男達は呆然と目の前の女を見上げた。 自分達が襲い掛かったのはか弱き女子であったはず。それがどうしてこのような攻撃を受けているのか。 手足が突然の痛みに痺れを起こしている。 混乱していたのもほんの少しの事で状況が分かってくると、今度は胸の奥底からふつふつと怒りが湧いてきた。 「おのれぇ」 ぎりぎりと歯を軋ませてこちらを睨みつける男の一人がそは何者かと問う。 女は、冷めた目でこちらを見ながら、さあ、ととぼけて見せた。 「もう君たちに名乗る名前なんて持ってないよ」 一度の攻撃だけでは致命傷にはならない。再び男どもは女に切りかかるが、それは荷を盗むためではない。 「このような屈辱! 荷などどうでもよいわっ」 「おうよ! 貴様のその命を我らに差し出せ!」 三人がそれぞれに三方から押し寄せる。 それに対し女はどこまでも涼しげに佇む。 それが荒れ狂う炎を内に隠した仮の姿形とは、怒りに身を任せた男達には分からない。 もうすでに日は暮れ、互いの顔も良く見えなくなっていた。 それでもきちんと相手の声を聞いていれば気付いていたかもしれない。 目の前に立つその人が、いつか共に大きな夢を語った同胞であると言う事に。 「この恥知らず共が……今すぐここで朽ち果てよ!!」 半兵衛の怒りは収まらなかった。 己の軍に誇りを持っている半兵衛には、自分が育てた兵が落ちぶれた事に加え、兵としての誇りも失ったかと。 彼らの目の前に立つのは女一人。 そこに自分達が攻撃されたと分かるや否や切りかかってくるという愚劣な行動に半兵衛の怒りは頂点に達した。 「さよならだ」 剣を構え、一気にその首切り落としてくれると刃の間接を外し横一線に薙ぎ払う。 しとめたと思った刹那、半兵衛の身体はがっしりと背後から抱え込まれた。 「なっ」 顔など見なくともそれが誰かはすぐに分かった。 長い髪も下ろし、浪人風情の慶次がいつの間にやら追いついていたらしい。 「そこまでだ、半兵衛。殺すなって言われただろ」 「離せっ。彼らだけは許すわけにはいかないっ」 「でもここは伊達の領地だ。お裁きはそれぞれの藩主が決め事を設けるよう、下したのは豊臣だ。忘れたのかい?」 ぐっと剣を握る手に力が篭った。 たしかにそうだ。上からの制約がある一方、ある程度の統治権も許している。でなければ不満だけが領主達に積もり積もって、いつかまた以前のような混乱した国に戻るだろとの秀吉の采配であった。 伊達政宗も身の内の事情により、彼らに対し何らかのお裁きを下さなければならない。 あまりの悔しさに、半兵衛の身体は震えた。 ここで自分は何もできないのだ。 「こんな、こと……」 「帰ろう、半兵衛。今日のお役目はもう終わりだ」 どこまでも感情的だった半兵衛だが、対照的に抑揚のない慶次の声を聞いているうち、徐々に落ち着きを取り戻し周囲の状況にも冷静に目を向けれるようになった。 二、三の灯りを携えて、伊達衆が男達をお縄に頂戴している。 政宗の顔にも安堵の色が見てとれた。小十郎となにやら話していたが、こちらに向かって戻るぞと声をかけてきた。 これで半兵衛の仕事は終わりだ。彼らへの裁きも明日のこととなろう。 途端にぐっと胸が詰まるのを覚えた。 「げほっ、ごほっ」 「大丈夫か、半兵衛」 まだ慶次に抱え込まれたままだった半兵衛は自然と相手の胸に凭れるように寄りかかる。 「だい……ごほっ、ごほっ」 足から力が抜けるのが分かる。倒れそうだと思ったときには慶次に抱え上げられていた。 「ちょっと、慶次く……ごほっ」 「はいはい。文句なら後でいくらでも聞いてやるよ。まずはあんたを寝かせるのが先だな」 確かに今は縋れるものがほしい。荒い息を宥めようと大きく息を繰り返す。 自分の身体に回された腕が力強い。 ふと視線を落とすと、切りそろえられた鬘髪が半兵衛の目に留まった。 ああ、そういえばまだこんな格好をしていたんだな。 自分の身を振り返り途端に昼間の慶次との応酬を思い出してしまった。ああ、と落胆して、更に体から力が抜ける。 もう分かっている事だ。今感じる腕の温かさも、先ほどまでかけられていた優しげな声も、本当に受けるべきは自分ではないのだ。 彼からその機会すら奪ってしまったのは他ならぬ自分自身なのだから。 (これが己に対する罰なんだろうか……) あの人を止められなかった咎は、いつまで己が身を責め立てるのだろう。 きっといつまでも許されない それでも今、欲しい存在が傍にある。 だからそれだけを甘受しよう。 そう思って、昼間の事も胸に仕舞い込んだというのに。 ああ、こんなにも苦しいのは込み上げてくる咳のためか。 「半兵衛、なに考えてんだ?」 「……なんでもないよ」 周囲は暗い。 伊達衆は一足先に邸に戻っている。 ここには半兵衛と慶次と二人だけ。 すでに宵闇の中で出歩く村の者もいなかった。 だからかもしれない。半兵衛は片手を上げると慶次の着物の端をぐっと掴んだ。 決して手に入れることの出来ない温もりであろうと、今だけでもこの手に掴んでおきたいのだ。 半兵衛は自嘲の笑みを浮かべた。 →6 ********** 昔の夜って本当に暗かったんでしょうね。 戻 |