=鬼火のゆく坂=

魂に背負うもの


4.







 まだ日が沈むまでは時間があると、半兵衛は村の外れまで足を運んで見ることにした。じゃあ俺もと慶次がついてくるのはまだ分かるのだが、そこにもう一人ついてくるのはなぜなんだろう。
「監視でもするつもりかい」
「チッ、チッ、そんなんじゃねえよ。この辺を案内してやろうって言ってんじゃねぇか」
「ふうん」
 どうぞ御自由に、と半兵衛がそっけなく言うとLet’s go!と先頭を行くのは奥州筆頭・伊達政宗である。小十郎はどうしたと聞くと、彼は作物の手入れに言ったとの事。家が何件か続く道をてくてくと通り過ぎると、一気に開けた視界には緑に生い茂る田畑がずっと先まで広がっていた。その彼方には昨日自分達が越えてきた山々が見える。
「良い土地だね」
 それは半兵衛からの心からの賞賛で、ちょっと驚いたように目を見開いた政宗は破顔してThank’sと返した。

 整備された田んぼの土手を歩きながら、慶次は困惑する自分の気持ちを宥めるのに必死だった。
 やはりあの二人は似ているのだ。

 ねねと半兵衛。

 ねねはよく笑い、そして賢い女性だった。秀吉の事が大好きで、自分には全く目もくれず、いつだって考えている事は秀吉の事だった。
『あの人は大きい人よ。いつかこの国を超えて、外へ行ってしまうかもしれないわね』
『私が願うのは秀吉の力になれること。あの人の行く道を、支えてあげられる自分でありたいの』
 外聞にも詳しく、秀吉同様慶次の土産話をよく聞きたがった。南国の御老人はお元気か、今京でのはやり物はなんであろう、いまどこぞの国が小競り合いを繰り返しているのか等々、女性は家の中のことだけを考えているものだと思っていた慶次には、それはそれは新鮮な感動だった。慶次の叔父の妻であるまつも家事を取り仕切る一方で戦闘に出る事もある。またそれとは違った人となりにかなりの興味を持ち、惚れこんだのだ。だがその時にはすでに秀吉が傍に居た。こればかりはどうしようもないと諦めてはいたが、気持ちばかりはどうにもならなかった。

 半兵衛の存在を知ったのは、ねねと知り合ってから一ヶ月経とうかという頃である。
 随分と短気な御仁だと思っていたのは自分だけだったようで、初めて出会ったときに起こした騒動の一部始終を秀吉とねねに伝えると二人に大笑いされてしまったのだ。
『さすがは前田慶次!』
『ほんに。あの半兵衛様を怒らせるなんて、そうそう出来る事ではございませんわ』
 くすくすといつまでも笑っているので流石に恥かしくなって席を外した事を覚えている。半兵衛は半兵衛で自分のやってしまったことにかなり自己嫌悪したようで、別の離れに移した身を二、三日は秀吉にも見せなかったらしい。
 そもそもの原因は小猿の夢吉が半兵衛の部屋に忍び込んでしまったが為に起きた騒ぎだったのだからならば責任は慶次にあるのだろうが、小動物一匹に翻弄されて剣を振るってしまった半兵衛の落ち込む気持ちもなんとなく伝わった。
(そりゃ家を半壊させちまったらな……)
 後にも先にも懐かしい思い出である。

 ふと物思いから覚めると、政宗と半兵衛が慶次のいる場所よりも少し先で座り込んでいるのに気付いた。
 そこには4、5人の子供たちがなにやら遊んでいる様子で、彼らに声をかけた二人がそのまましゃがみ込んでいるのである。
 小石か、それとも田んぼの虫か、年長とおぼしき童からなにやら差し出されたものを、半兵衛はにこりと笑って受け取っていた。
 普段の自分には決して見ることのない笑顔だったから、思わずもらした呟きにも自分で気付いてはいなかった。

―――ねね。

 その瞬間にこちらを向いた表情はなんと言えば良いのだろう。

 先程まであったはずの和んだ空気が一変した。
 半兵衛がこちらを見ている。
 じっと己を見る深紫の双眸には一欠けらの感情も見られない。
 ばっと立ち上がり対峙する自分と半兵衛。
 だが自分を見ているようで実は遠くの何かを見つめている半兵衛の視線に落ち着かない。

 姉様、姉様、どうしたの?

 子供たちが心配そうに半兵衛を覗き込んでいる。
 先ほどまであんなに優しそうに笑っていた女性の急な変わりように、どうしたものかと困ったように互いが互いの顔を見合って最後には政宗へと答えを求めた。
 さて、政宗もどうしたものかとやはり困惑している。

 硝子のような双眸はただ真っ直ぐに。
 普段でも白い顔色はなお一層白く。
 先に邸に戻るよと小さく呟いて、半兵衛はその場を離れ、慶次とすれ違い、もと来た道を足早に戻っていってしまった。
 追いかけなければ。
 心では思うのに、慶次の身体は動かなかった。







「おい、色男さん、あんたあの人になんかやったのかい?」
 政宗がぼおっとした慶次に声をかける。
 ああ、いや、俺にもよく、と慶次の反応もいまいちはっきりしない。
「えらく泣きそうな顔して走ってっちまったぜ」
「!」
 政宗の言葉にはっとした慶次は「邸に戻ろう」とようやく足を動かした。
「おれ、また言っちゃならねぇこと言っちまったみたいだな」
「Aa? なにか心当たりが有るみてぇだな」
「……あんな顔させたの、これで2回目だ」
「ははーん? まあまずは邸に戻るぜ。そろそろ時間もくるしな」
 ああと軽く頷いて慶次は歩き出した。政宗もすぐについてくるかと思ったが、なにやら子供たちと二言、三言交わしてようやくこちらへと足を向けてきた。
 自分の隣まで来たところで何を話していたんだと尋ねる。
「大した事じゃねえよ。子供たちのちょっとした噂話ってやつだ」
 あっちに鬼火が出るらしいぜ。
 にやりと笑って政宗が指差した方向にはひっそりと佇む影を落とした山が一つ見えた。

 二人が邸に到着すると、玄関の横の柱に凭れて待つ半兵衛の姿があった。
 先ほどのような痛いほどの冷たさは感じられないが、昼まであった親しみさなどはきれいさっぱり消えていた。
「小十郎君はすでに帰ってきてるよ、政宗君」
「Sorry。そんじゃ動くとするか」
 中に入る政宗に続いて半兵衛も中に入っていく。慶次はどうしたものかと逡巡して、結局外で待つことにした。

 ねねの事があってからは二人に対する怒りばかりで、それまでの事はほとんど忘れていた。
 大きな戦も終えて落ち着いて二人と向き合うと、たった半年だけの付き合いだった筈なのになんとも色んなことが思い起こされるものだ。
 良いことも悪いことも、慶次の記憶の中で蘇る。

『本当に、そう思うのかい?』

 ああ、まただ。
 俺は肝心なところで大切な人を護れない。
 苦い思い出と共に慶次の中で後悔の念が押し寄せる。そして同時に一つの疑問を抱かせた。
 半兵衛は一体何に対して悲しんでいるのだろう――?

 政宗は豹変した半兵衛を見て『泣きそうだ』と言った。
 それを聞いて、慶次もようやく半兵衛が悲しんでいる事に気付いた。
 単に男が女に似ていると言われてしまったからなのか。気持ちとしては複雑に感じるかもしれない。半兵衛は特に周囲から優男とからかわれてきた経緯がある。しかしだからと言ってそこまで反応される事ではないようにも思われた。やはり肝心なところはそこではない。なぜだろう、人の機微にそこまで鈍いつもりもないのだが、半兵衛のことに関してくると何時だって自信が持てなくなる。
「わかんねぇな……」
「キィキィ」
 肩の夢吉が後方に反応するので振り向くと、支度を終えた半兵衛が佇んでいた。
 彼の手には重箱の包みらしきものが持たされている。
「いるものはそれだけで良いのかい?」
「ああ、狙われているものはどうも食い物が多いらしくてね」
 今日は御馳走を用意してあげたんだよ。

 そう言って半兵衛はふわりと笑った。

 吃驚した慶次は手に持つ大太刀を思わず落としてしまいそうになった。
「どうしたんだい? そんな狐に包まれたような顔をして」
「えっと……ああ、いや、その……」
「ああ、さっきのことならすまなかったね。僕とした事が大人気なかったよ」
「気に……してねぇのか?」
「別に。まああえて言うならねねに似てるなんて、もう言わないでほしいかな。僕はあんなお転婆じゃないよ」
「お転婆……」
「だってそうだったろ」
 いつだって薙刀振り回してたじゃないか。
 半兵衛の軽口に確かにと慶次も頷く。普段は家のことに専念するねねだったが、秀吉の一党と共に戦場に姿を見せたこともあったので、恐らく腕は確かだろう。
「半兵衛……」
「ほら、さっさと行くよ。っと、そうだ」
 慶次君、君も着替えてきたまえ。
 なぜだと首を傾げる慶次に半兵衛は早くと邸の中へ促した。
「君の格好じゃ目立ちすぎて作戦にならないんだよ」

 結局着物は伊達の邸で出されたものを纏い、後ろ髪も結びを外して下ろすことにした。
 うん、それなら大抵の人間は前田慶次とは分からないね、と半兵衛に言われ、一体自分がどんな風に皆に見られているのか少々自信をなくす慶次だった。









→5

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半兵衛は隠し事が上手な方だと思う。
だから慶次には分が悪い。