=鬼火のゆく坂=

魂に背負うもの


3.







 その日の夕餉にて、政宗から半兵衛へ一つの依頼を持ち出された。
 この場に席を置くのは伊達政宗、片倉小十郎、前田慶次、そして竹中半兵衛。
「なあ、竹中さんよ」
「なにか」
 味噌汁を口に含み、あ、美味しい、と自然と感想をこぼしていた半兵衛は、一瞬で無表情に変わりこちらを見た。
 本当に可愛げのねえやつだな、おい。などとは口に出さず、政宗は用件だけを伝える。
「あんたに頼みたい事があるんだが」
「やっかいごとには巻き込まないでくれと、先ほど小十郎君にも言ったはずだが」
「申し訳ない」
「HA! こいつらに謝るような事は一つもねぇよ、小十郎」
「それが人にものを頼む態度かい」
 じろりと睨むが独眼流には針の先ほども感じないようだ。ふんと鼻先で笑とばして話の先を続けた。
「あんたには関係なくてもやってもらうぜ。食った飯の分ぐらいは働いてもらっていってもいいじゃねぇか、『天才軍師』さんよ」
 ぐっ、と半兵衛は奥歯をかみ締めた。今はあまり聞きたくない響きだ。
 実のところ軍師というお役目も次に継ぐ者は決めてある。この豊臣の世に己のあるべき場所が見つけられないとは、誰よりも豊臣の天下統一を望んでいた半兵衛にとってはなんとも皮肉な話となった。
 それを知ってか知らずか、伊達政宗は半兵衛の痛いところをついてくる。
「……とりあえず内容だけ聞こうじゃないか。決めるのはそれからだ」
「はんっ。あんたも小さい男だな。男なら男らしく頼まれた一つや二つ、二つ返事で受けてみろよ」
 鎧を纏わぬ為、政宗の表情も分かりやすい。心底楽しそうに話を持ちかける奥州筆頭を見やり、これはなにかあるな、と慶次も予感していた。
 この二人、初めての顔合わせのときから印象がかなり悪いらしい。お互いがお互いにそう思っているので、逆に言えば気があっているともいえるか。
「とにかく内容だ! さっさと言いたまえ」
 どうも最近気が短いな。と慶次が思っていることなど露ほども知らず、半兵衛は話の続きを促す。
「OK。実はな、この辺で盗賊が出るようになった」
「―――盗賊?」
 おや? と思ったのは半兵衛だけではなかったようで、ぱちくりと目を見開いた慶次も不思議そうに政宗に尋ねた。
「盗賊っていうからには物盗って行くんだろ?」
「ああ。今日までで4件だ。畑から家に帰る道すがらでその日に取れた作物だったり、遠出からの帰り道に金品を盗られたりとな」
「その犯人が捕まらない?」
「情けねぇ話だ」
 一呼吸間の空いた政宗の相槌に、それぞれが筆頭の心中を察した。
 己の国の安寧が護れない。これがどれほど口惜しい事か、半兵衛には痛いほど分かるというものだ。
「それで?」
「最初は単なる物盗りと思って見回りもそこそこだったんだがよ、とうとう4人目でけが人が出ちまった」
「なるほど。しかしそこでいつき君が出てくるのはなぜだい?」
「いつき? お前らどうしてそれを」
 半兵衛たちが旅の道中、目にしていたことを知らない政宗はとっさに己の片腕を睨みつけた。
「違いますよ、政宗様。彼らはここに来る途中でいつきを見かけたそうです」
「あいつ一体どんな囮になってやがったんだ?」
「あれって囮だったのかい」
 どうみても“とうせんぼ”されていたよね、僕達。
 半兵衛が慶次に話を振ると、慶次もああと肯定した。さして幅のない山道を巨大な石鎚を手にした少女が仁王立ちになっていればそれはそれは目立つ。というか道も通りにくいし、もっというなら別の道を選んでいくだろう。そもそも襲ったところで反撃されるのは必至と誰もが思う筈だ。
(そりゃ犯人も捕まるわけねぇや)
 今日いつきを村へ帰らせた事は間違いではなかったのだと政宗は大きくため息をついた。

 それでどうしていつきなんだい?
 再び先ほどの質問に戻る。
 ああ、と相槌を打ってここからが本題と政宗も身を乗り出して半兵衛に言った。
「実はな、襲われたやつらはみんな女なんだ」

「断る」

 ここで気を抜かれたのは政宗だけではない。小十郎も慶次も展開のすっ飛んだ返事に発した本人をじっと見つめた。
「おいおいおいおい。俺はまだ何も言ってないぜ」
「言わなくとも分かる。とにかく僕はやらない」
 心底嫌そうな様子の半兵衛に、政宗はにやりと笑って見せる。それはおもちゃを目の前にして楽しくて仕方がないという子供のような笑みだと小十郎は思った。
「何がそんなに嫌なんだい、豊臣の軍師さんよ」
「うるさいな。とにかくこの話はもう終わりにしてくれたまえ。ご馳走様でした」
「半兵衛、おれよく話が見えてねぇんだけど」
 尋ねてきたのは一番事態を把握できていない慶次である。
「僕に聞かないでくれ」
「前田殿、つまりだな」
「そこで説明しなくていいから、小十郎君」
 半兵衛がさえぎろうとするがそこで引く伊達ではない。
「この優男さんに女役やって囮になってもらいてぇって言ってんだ」
 女役、と慶次は口の中で反芻すると真っ直ぐ半兵衛に視線を向けた。
「すっげぇ似合いそうだな、あんた」
「だから君は嫌いなんだ!!」
 まさに口よりも手。
 慶次が『後悔先に立たず』との昔からの格言を思い出している間に、半兵衛からの平手打ちを容赦なく喰らっていた。
 ぱーんと小気味良い音が隣室にも響き、しばらく伊達の邸にて使用人たちの語り草になったとかならなかったとか。

「こいつは思った以上に面白くなりそうだな、小十郎!」
「お願いですから政はお忘れにならないでくださいね、政宗様」







 それからも騒ぎの収まらなかった夕餉から一晩が明けてすでに午<うま>の刻で日が高い。
 結局伊達からの依頼ということと、これも国の治安のためだぞ、と嘯いた慶次の発言で半兵衛もしぶしぶ用件を受ける事になった。
 そこには鏡に向かう半兵衛と、政宗の命で部屋に訪れた邸の女達が三人。
 出来はかなりのものだった。
 こりゃ一国のお姫さんより待遇良いねと発言すると今にも射殺されそうな冷たい視線が向けられた。馬鹿か君はとこの辺で言われてもおかしくないのだが、化粧を施している最中では口を開く事も出来ないので代わりに目で訴えてきたようである。
 着物は彼の家紋を用いて薄緑色の笹模様の反物が使われた。女達がこのためにわざわざ仕立てたというのだから(随分奥州も暇になったんだな)と慶次が感想を思い浮かべるのも無理はない。
「君、何かいらない事を考えてないかい?」
 化粧を終えた御仁がこちらに険を込めた目でこちらを見た。
「綺麗になったな、半兵衛」
「…………やっぱりあの時止めを刺しておくんだった」
 彼の言うあの時とは長谷堂城での一幕に関してだろう。なあそんな言うなよ、と慶次が困ったように懇願すると半兵衛はぷいと向こう側を向いてしまう。腰まで届く長さの黒髪の鬘<かずら>を被ると随分艶やかに目に映るものだ。もともと色が白いのでおしろいもほとんど必要なかったようで、良いね良いねと言いながら女達も楽しそうに襟元、袖端と整えていく。
 部屋から続く縁側に腰掛けてそれらの一部始終を眺めていた慶次は、まるでお人形さんだな、と言うと相手からも「全く持ってその心境だよ」と普段よりも冷めた返事が返ってきた。
「まだ怒ってんのか、半兵衛」
「あたりまえだ」
 なんだか一文字ずつに力が篭ってたな。
 触らぬ神に祟りなし。すでに逆鱗には触れているのでこれ以上は踏み込むまいと考える慶次である。ただ、女達は放っておいてはくれない。
「すごく綺麗ですわね、竹中様! 私達ここまで出来るとは思っておりませんでした」
「いいなぁ……あら、不思議な目の色をなさっているのね」
「白髪の竹中様もよろしいですけど、黒髪にされるとまた一層よろしいですわね」
 あ、半兵衛の背中に哀愁が漂い始めたぞ。
 慶次は心の中で同情する。
 黄色い声で騒ぐ彼女達の口を止めるすべだけは慶次も半兵衛も持ち合わせてはいなかった。

 でも本当に随分とよい仕上がりになったものだ。
「Year! It’s wonderful!」
「これでは誰も竹中半兵衛とは気付きませんな」
「至極簡素な感想をどうもありがとう」
 実際使い物になるのかと様子を見に来た政宗と小十郎の感想がこれである。もうどうにでもなれという心境の半兵衛だった。ここまで来たらさっさと終わらせてさっさとこの衣装やら化粧やらを剥ぎ捨ててやりたい。
 具体的な内容をまだ聞いていなかった半兵衛は政宗に尋ねる。
「それで、賊が現れる時刻というのは決まっているのかい」
「大抵は夕暮れだな。ほとんど日が沈みかけの頃に出てきていやがった」
「頭は使うか」
「場所も決まっているわけじゃねえが、大体のアタリはつけてあるぜ」
「了解した。では少し早めに夕餉をいただいて、それから出るとしよう」
「昼からは出ないのかい」
「……あまり日には当たりたくないのでね」
「けっ、随分と軟弱だな」
 政宗は吐き捨てるように言った。男が男に抱く感情としては至極当然と受け止め、まったくもってその通りだよ、と言われた本人が同意してしまった。これでは政宗のほうは拍子抜けしてしまう。
「ったく、昨日といい今日といい、随分と調子狂わせてくれるぜ、あんた」
「そうかい?」
 それは良かったと今度は口元を吊り上げて、半兵衛は裏のありそうな笑みをあえて政宗に見せた。

 完全に女性としての装いに身を包んだ半兵衛を正面から見据えて、慶次はどことなく落ち着かなかい。
 ざわざわと胸の奥で小さく蠢くそれがなんであるかは疾うに分かっている。

 やっべぇな―――。

 すでに過去の人として自分はけじめをつけたはずだった。
 それでも決して忘れられるわけではない。
 死に際の最後まで笑っていた、慶次の大切な、大切な思い出の人。

 ねね。

 彼女を思い出していた慶次はぼんやりとしていて気付かなかった。
 自分に向けられた深紫の瞳が、暗く澱んだ色でこちらを見つめていた事に。
 日が沈むまでにはまだ数刻の猶予があった。









→4

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半兵衛様の女物!
まず第一の目的は達成されました(笑)