=鬼火のゆく坂=

魂に背負うもの


1.







 澄んだ青空の下で、山々は深い緑に彩られ。

 過ぎ去るそよ風に、木々が優しく揺れた。

 整理された田畑の合間に流れる水は、ことことと音を立てて下っていく。
 必要な水分と栄養を与えられて植えられた野菜たちは、この度も十分に育ってくれたようだ。
「今年も豊作といきそうか? 小十郎」
 ええ、政宗様、と背を向けた従者が声だけをこちらへ向けて来る。
 あれほど日常的に身に着けていた鎧は家に置き、身軽な服装で邸周辺の田畑を見て回っていた伊達政宗はその中でよく知る人物を見つけたので足を止めて声をかけた。
 向こうも相手が分かっているからか、顔をこちらには向けずにただ黙々と野菜たちの世話をする。

 平和な世の中ってのはこういうもんかね。

 ずっと昔より見つめ続ける片腕の背中は、今だもって広いものだと政宗は一人感慨にふけった。
 久しぶりに戦のない年となり、国の男共は軍の兵士だったものも含めて、皆農作業に精を出している。その中心的指導に当たっているのが実は政宗の従者、片倉小十郎だった。
「収穫前に戦が終わってよかった。これで女子供も安心しましょう」
「そうだな……天下取ったのがあの大猿ってのが気にいらねぇけどよ」
 政宗が言う『大猿』とは今は大阪に本拠を構える覇王・豊臣秀吉のことである。
 右目を幼少時に病で失い眼帯をまとうこの青年、伊達政宗も平定されるまで日本統一を夢見て戦乱に身を投じていた。
 今は奥州一行の戦の象徴とも言える三日月印の兜も脱ぎ、少しばかり肩にかかる程度の黒髪を風にたなびかせている。
 気持ちの良い風が政宗の横を通り過ぎた。
 まあそうですね、と相槌を打ちながら振り向いた小十郎が、なんとも言いがたい表情を見せたので、おやと政宗もつられて口をゆがませる。
「おい。どうした、小十郎」
「いえ、政宗様……」
 問う言葉を飲み込んでしまったのは、それよりも早く答えが返ってきたから。

「今の発言、撤回してもらおう」

 は? と思わず口にして振り向くと、まさに今口にした彼の者の側近が立っているではないか。
 この場にいたことにも驚いたが、それよりももっと驚いたのは彼が常に付けていた仮面を外して、素顔を自分達の前に晒しているというところだろう。
 これで性格が可愛いものなら何も言うことはないのにと思うほどには並み以上の面が其処にある。
「どうしたんだい、そんな狐につつまれたような顔をして」
 政宗が穴が開きそうなほどにじっと見つめてくるものだから、僕の顔に何かついているかと半兵衛は同行していた人物に振り返り尋ねた。
 相手は平素変わらぬといった素振りで、ただ半兵衛の素顔が初めてなんだろ、と口にする。
 ああなんだと納得してみせた半兵衛に対し、政宗にはそれこそ鬱積した記憶やら思い出やらが湧き上がってきて声が低くなるのは止めようもなかった。
「……てめぇ、何しに来やがった。この腰巾着が」
 彼こそは忘れたくとも忘れられない、政宗がこの世で最も忌々しいと思う武将なのだ。
 竹中半兵衛。
 あの戦乱の世に随一の天才軍師として名を馳せた彼に、幾度辛酸をなめさせられたことか。こちらが受けた被害は大きいもので怒りの矛先は秀吉よりもこの半兵衛に向けられることのほうが多かったようにも思える。
 だが近頃は、お役御免となったのか全くその名を耳にしなくなっていた。名を聞くだけでもイライラしていた政宗だったので、この状況に心から喝采を上げていたというのに、仏様の気まぐれは時折政宗を苛めたくなるようだ。
「あんたが出てくると決まって面倒なんだよ。とっとと帰んな」
 いらだつ感情を隠そうともせず邪険にあしらうが、相手もそれを見越してここには訪れたらしい。
「……君に先ほどの発言を撤回してもらうのが先だ」
 気になることはそれよりも主人への態度だという。まったくもって見事な腹心だ。
 もともと色の白い男だと思っていたが、見ない間に更に色がない。なんとも覇気のない者に自分が倒されたのかと思うと収まりかけていた虫の居所がまたしても悪くなりそうだった。
「帰れって言ってんだよ、この大猿の腰巾着が。ああん?」
「貴様っ! これ以上秀吉を愚弄するな!!」
 切り落とすとばかりに半兵衛が腰の刀に手を掛けるのを目に留め、来るかと思い構えを取ったその時、なんとも気の抜けた声が横槍を入れてきた。
「はいはい、お二人さん、そこまでそこまで」

 おや、この男は何時ぞやの。

「君は黙っていろ」

 へえ、あの竹中半兵衛を一言で止めちまうとはね。

「だって着た早々切り合いしてどうすんの」

 確か聞いたうわさではこの二人敵同士だったはずだが。

「彼らは秀吉を侮辱した!」

 なんか、怒り方が自分と彼とで違うんじゃないか?
 だってさっきまで人を見下すような冷めた目でこちらを見ていたのに、この同伴者に対してはそれだけではない、もっと近しいものへの苛立ちを感じさせるのだ。
「別に名指しで言ったわけじゃねぇし」
 半兵衛だけの味方でいるつもりはないようで、一応は仲裁を試みようとしているようだ。
「同じことじゃないか!」
「第一あいつが信長に仕えてるときからあだ名はサルだっただろ?」
「人の揚げ足をとるんじゃない!」
 ぷっ。
 い、いかん、つい吹き出してしまった。
 自分たちが笑われたのだとはすぐに気づいたようで二人はそれぞれに政宗に目を向けた。
「政宗君……」
「ハッハーッ、悪い悪い! えーと、お前確か、前田慶次だったな」
 拘りは消え、可笑しさに口元を吊り上げて笑う政宗は、慶次のほうに声をかけた。
 煌びやかな衣装をまとうその男は、今も変わらず自由奔放にしているようだった。
「よお、伊達男さん。久しぶりだねぇ」
 ここは相変わらず男っ気ばっかだねぇ、と相も変らぬ台詞を吐きながら辺りを見回す男の飄々とした様に政宗の怒りは完全に凪いでしまった。
「はあ……お前ら何しに来たんだ」
「秀吉からの勅命だ」
「はっ! そんなもん俺が聞くとでも」
 普段の不敵な笑みでつまらぬ文などつき返してしまえと思っていた政宗であったが、それは思いがけないところから阻止さえてしまう。
「えー、政宗様、それについてはこの小十郎がすでに伺っております」
「……what?」
 おいおい、そんな話は聞いていないぞ。
「じゃあすでに部屋も用意してもらってるってことだよね」
 半兵衛の言葉にむろん、と小十郎は答えた。
 ならいいや、と半兵衛と慶次が邸の方向を確認してさっさと足を進めていく。
「おいっ、どういうことだ小十郎っ」
「詳しい話はまた邸でいたします。まずは屋敷に戻りましょう」
 とりあえず、彼らは7日ほどここに滞在するそうですので、と小十郎にいわれオーマイガーと伊達男が叫んだのは言うまでもない。









→2

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恐らくばさらの中で一番動かしにくいのは政宗様です★