=君と二人でとおりゃんせ=

旅立ちの時

5.







 ああ、もうどうにでもなってくれ。
 そんな心境に半兵衛はうな垂れた。
「慶次君……いい加減に僕を下ろしてくれないか」
 おお、悪い悪い、と軽く言いながら中庭に面する渡り廊下でようやく半兵衛を下に下ろした。
 今は見えるところに人はいないが、先ほどまでに一体何人とすれ違ったことやら。思い出すだけでも恥かしい。こういう時は仮面を付けていて本当に良かったと思う。
「僕は子供か……」
「まあそう拗ねるなって」
「誰の所為だと」
「俺?」
 こいつ自覚ありありでここまで僕を担いできたのか。
 拳の一発くらい喰らわせてやろうかと思ったが、ここでまた騒ぎを起こして誰かの目に付くのはいただけない。
 今日何度目か分からぬため息を吐いて、半兵衛がすぐ先の自室へ向かおうとしたその時。
「っ……ごほっ、ごほっ」
 いつもの咳き込みが始まった。最近は一度や二度では収まってくれず、咳き込みだすとしばらく続く事が多い。そもそも自分の命は豊臣軍を最強のものにならしめたその時までと思っていた。その後のことまで考えてはいなかったし、すでに治そうとの意思もなく、医者には散々注意されたものだ。
 そのつけが今回ってきているようで一度発作が起こるとかなり身体への負担もかかるし、傍目から見ても辛そうに見えるのは一目瞭然で、一度秀吉にも声をかけられたほどなのだ。ただ半兵衛の自尊心の高さから、極力それを人前で見せまいとする意識に自然と咳を押さえ込んでいるようである。かわりに咳き込み始めると落ち着くまでに多少時間がかかるようになってしまっていた。

 こんなところで、と廊下に蹲る半兵衛だったが、少し納まったかと思った時ぐいと身体に浮遊感が襲った。
 なにごと!? と叫びそうになって瞬時に自分の状況を把握する。
「ちょっ……慶次君! いい加減僕を歩かせてくれ!」
「だって半兵衛しんどそうだし」
「僕はだ……ごほっ」
「ほらほらそんなんじゃ外にも行けねえよ」
「だから僕は……」
 まだ納得してないって言うのに、誰も彼もが勝手に話を進めていく。
 どうしてこんな事になっているんだろう。
 半兵衛は膝下と背中に腕を回され、まさに慶次に”お姫様だっこ”をされている状態なのだ。同じ男であるのに断然体格の違う慶次に抱えられると、自分はやはり優男なのかと凹みたくなる。
 彼を見ているといらいらする。
 それは今も昔も変わらず、否、昔以上に色々な経緯を踏まえて、はっきり言って印象は今だよろしくない。
 こんな男に、と思う。
 思うが自分に回された腕の温かさに、体が落ち着いていくのを否定する事はできなかった。
 温かい。
 自分の身体はこんなに冷え切っていたのかと自覚させられるくらいに。
 ほう、と一つ息を吐く。
「大丈夫か、半兵衛」
 何も言わずに慶次は廊下を進んでいく。部屋の前まで着くと両手が塞がっているため、片足で器用に障子戸を開けた。なんて行儀の悪い、と内心呟くが状況が状況なので半兵衛からは何も言わない。
 ただ一つだけ告げる。
「ちょっと疲れた……休みたい」
「おう、まかせな」
 じゃあ出発は明後日の朝にするから、また迎えに来るぜ。
 まだ寝床も用意されておらず慶次の腕の中であったが急速に眠気が襲ってきた。彼の声を薄れる意識の中で聞きながら半兵衛は目蓋を閉じる。
 意識の落ちる寸前に、ふと忘れがたい人物を思い出す。
 なぜだかこれからの旅で、すでにいないと分かっているのに彼の人と出会いそうな錯覚を覚えていたから。

 ―――ねね。

 声にならぬ声で彼女の名を呼び、半兵衛は今度こそ眠りの淵に着いた。



 すでに半刻が過ぎただろうか。
 慶次は横たわる彼の傍に座り、じっと半兵衛を見続けていた。
 昔よりも鍛えられた身体なのだろうが、更に体調を悪くしているのは慶次にもすぐに分かった。本当はこんな状態で外に連れまわすのはどうかとも思うのだが、実際半兵衛に残された時間が分からない。
 命短し。人よ恋せよ。
 自分の口癖ではあるのに今それを口にするとなんとも苦い。
 短い命でも寿命を全うする事と病気でその人生を終える事とでは意味合いが全く違ってくる。
 半兵衛は一体何を思っているのだろう。
 正直慶次には分からない。
 本当に分かっているのは、やはりあの旧友なのだろうと思う。
 それでも自分にできることがあるならしてやりたいと思うから。
 だから今回、秀吉にも協力してもらい、視察という形で半兵衛を国内中回らせる事にした。
 豊臣の事だけを考えてきた半兵衛に、今だからこそもっといろんなものに目を向けてみてほしい。
(悔いだけは、残させたくねえよな)
 彼にも、そして、自分自身にも。
「最後まで付き合うぜ」
 静かに眠るこの国の軍師に、慶次は優しく優しく笑いかける。

 澄んだ青空のその向こうから吹いたそよ風が流れ込み、慶次と、半兵衛の艶髪をさらりと軽く凪いでいった。





→6


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本当にこんな身体で連れまわすのはどうなんだ。
でも行きます。
天からのお許しが出ましたので(笑)