=ある恋人達の日常=








 ロッソは今日一日、二人の人物を付け回していた。
 ボロネーゼファミリーに所属する彼は育て親でもあるボスを心から尊敬しており、彼からの頼みとあって尾行という任についていたのだ。
『いいか、こいつらが明日、日本からの客人を迎えるそうだ。そのお客人を我がファミリーにお迎えしようと思う。今後の、我らボロネーゼとボンゴレの為にな』
 我らがボスはボンゴレとの交渉の為に人質を捕まえて来い、と言ってきたのだ。
 ファミリーの為に。
 その一点でロッソは二つ返事を返し今に至る。

 客人を迎えるまでに時間があるのか、例の二人は空港近くのモールで買い物にいそしんでいる。
 二人のうち、男の方は30代前半と聞いたが随分と若く見える。童顔なやつだなと思ったのは、彼が東洋の生まれであることも一つ要因としてあっただろう。しかしロッソはそれを知らない。
 もう一人はまだ20歳を過ぎない女性である。赤のフリルドレスに唾の広い帽子を被り、フリルで縁取った靴下に黒光りするローファーをはいて青年にぴたりと寄り添っている。背中に流されたストレートの黒髪がなびくたびに光沢を放つ。
 彼らの背後に回るようにつけているため、あまり顔を見る事ができないでいるが、少女が非常に美しい容姿を備えている事は時おり見える横顔で分かっていた。
(アレが……ボンゴレのボスと、もう一人は愛人か?)
 現在ボンゴレを牛耳る10代目が結婚したと言う話はついぞ聞かない。ならば仲良くショッピングなど楽しむ彼女はきっと数多いる愛人の一人なのだろう。
 そんな事を考えながら建物の陰に潜むロッソは、ふいに少女の姿が消えたことに気付いた。青年は相変わらずモールに立ち並ぶ店の中を覗きつつストリートを歩いている。
 ボンゴレのボスがたった一人になるとはいくらなんでも無用心すぎないか。
 ロッソは一瞬迷ったが、コレはチャンスだとも考えた。彼らの客人を捕まえるよりも、今ボンゴレのボスを捕まえた方が有効的ではないか。そもそもが自分達の目的はボンゴレを手中に収めることだ。
 どうする。
 どうすれば――。

「お前が死ねば、すむ話だ」
 ゴツッ。背中に覚えのある硬さのものが当たった。
 ロッソの全身に電撃のような痺れが走り、じっとりと冷や汗が流れてきたのが分かる。
 これが殺気を向けられたための恐怖から来る反応である事はすぐに気付いた。
 自分の背後に、敵がいる。
「朝からチョロチョロついてきやがって、折角のツナとの買い物が台無しだ」
 声だけ聞けばまるで小鳥のさえずりのよう。可愛らしい未成熟な女性の声音に男と言う種は酔いしれるかもしれない。
 けれど今の状況では全く笑えない。
 可愛らしい声に潜む陰は間違いなく敵意。
 そして命が狙われている。
「さて、どうしてくれるかな。あいつに突き出すと助けちまうしな。俺としてはこのままこの引き金を引いてやりたいんだが」
「そ……そんなことしたら……町の人間に……」
 ああ? 何いってんだ貴様。
 機嫌を損ねたか、当ててきていたものを更に背中に押し付けてくる。
「俺がそんな初歩的ミスするかよ。街中でぶっ放すならサイレンサーつけるのが常識だろ」
 こいつ、本物だ。
 恐怖に手足ががたがた揺れる。
 ちらりと一瞬だけ後ろを振り返ると、それはそれは楽しそうに笑みを浮かべる赤いドレスの少女が立っていた。
「じゃあな」
 やはり正面から見ても美しい顔をしていた少女は、ためらいなく手の中の引き金を引いた。




 ぴゅー。
 身体に打ち込まれるはずの銃弾の痛みはいつまでたっても訪れず、代わりに背中が濡れていく感覚にロッソは、おや? と首をかしげた。
 恐る恐る背後を見れば、本物だと思っていた銃の先から飛び出る水は、間違いなくそれがおもちゃである事を示している。
 引っ掛けられたと思った瞬間に怒りが全身を駆け巡り、我を忘れて少女に襲い掛かった。
「この女……っ」
 首根っこを掴もうと伸ばした手は、しかし少女のそれに触れることはなく。
 進む力とは逆の方向に衝撃を受けてロッソの身体は否応無しに後ろへと押し付けられ、気がつけば背中には壁が、己の右腕と左肩は男の手に押さえられていた。
 身動きの取れない状態に若干パニックを起こしかけたロッソは正面の顔を確認して全身を凍らせる。
「えーっと、君はどこのファミリーなのかな?」
 口調はとても穏やかなのに見えない部分に寄り添う冷たい空気を感じて、ロッソは考える事すら放棄したかった。
 開いた口を閉じる事も出来ずにうめき声だけを漏らす男に、沢田綱吉は大きくため息をつく。
「困ったなぁ。このタイミングで仕掛けてくるってことはやっぱりお客人が目的だったのかな? どこで情報漏れちゃったんだろう」
 随分と悲しそうな顔を見せるが、ボンゴレファミリー10代目ボス、沢田綱吉の目は刃物の切っ先のようにロッソを捕らえている。視線だけで殺される。それがロッソの率直な感想だった。彼に運河に飛び込めと言われればすぐさま実行に移すだろう。
「物騒な事考えてるぜ、こいつ。さっさと片付けろ」
 横から声をかけてきた少女に、レバンネ、とたしなめるように名を呼んで綱吉はロッソの目を真正面から見た。
「そうだよね……ここであったのも何かの縁だし、一つ頼まれてくれないかな?」
 まるで友達にかけるような口調で、しかし是非も問わないそれは、やはり氷のごときボンゴレ10代目ボスの双眸だった。



「可哀想にな、あいつ。もう日の目は見られないぞ」
「先に手を出したのはレバンネじゃないか。ボク知らん振りしてあげてたのに」
「はっ。何言ってんだこのダメツナ。敵にマンマの顔を見せてたまるかよ」
 一つ二つ指示を出された刺客の男は二つ返事で頷くと、転げるようにその場を逃げ去った。綱吉とレバンネは買い物の続きをとストリートに戻り、軽い口調で先程までのやりとりを互いにつついたりなじったりしながら、そろそろ時間という事もあって待たせてあるリムジンまで戻ることにした。
「ところでさっきの銃はどうしたの? ボク渡した覚えないんだけど」
 レバンネがスカートの下に隠してあるそれにちらりと視線を投げて綱吉は問う。
 ああ、と納得したような笑顔でレバンネは答えた。
「これはジャンニーニに壊れて使えなくなったやつを貰ったんだ。銃身に入ってるのはただの水だぞ」
「それだけ?」
「あと仕込みにナイフを入れてる」
 そのちっさい銃のどこにそんなものを聞きたい綱吉だったがあえて触れることはしなかった。
「お願いだから自分から危険な場所に行かないでよ」
「……フン」
 リボーン、と彼女のもう一つの名を呼ぶと、少女は綱吉の腕に自身の腕を絡ませてきた。
「早く空港に行くぞ。マンマが待ってる」
「はいはい。それにしても久しぶりだなぁ。京子ちゃんも変わってないといいな」
 程よくちらばる白雲の合間から、気持ち良く太陽の光がイタリアの地に降り注ぐ。
 日本からのエアラインも予定通り到着する事だろう。
 飛行機から降り立った京子と彼女の家族を二人が満面の笑顔で迎えて。
 久しぶりに会った”家族”にレバンネは抱きついて歓迎し、綱吉も京子の夫とようこそと握手を交わして互いに再会を喜びながら地中海の美しい街へと繰り出して行くのだろう。
 太陽の輝きが、誰人にも等しく明るい。そんな日になりそうだった。



 その日、いつものようにボスの執務室でお茶をいただいていたレバンネは、報告に来た右腕の話にへえと声を漏らしてしまった。
 綱吉と獄寺が二人揃ってこちらを見るので、自分の声が案外大きかったのだと内心舌打ちする。
「……聞いちまって悪かったな。話が終わるまで俺は別に部屋にいる」
「ああ、待って待って、レバンネってば。別に聞いててもいいよ」
 使用人が用意した茶菓子一式を手にそれぞれ持って移動しようとするので綱吉はそれを止める。
「関わるなっていったのはツナのほうだぞ。それってこの前ちょっかい出してきたやつのことだろ」
「そうだよ」
 いいからここに居て、と言われれば退席する理由はない。軽く上げていた腰を再びソファに下ろして、手に持った食器も机に戻す。まだケーキが食べかけなので、残りのそれを口に入れた。
「それにしてもこのファミリーがどうかしましたか? 特別気になるようなところでもありませんけど」
 当然の疑問を口にしたのは綱吉の右腕、獄寺隼人だ。先日綱吉から頂戴した「ガセネタ」を渡してきてくれと依頼され、貰い受けたそのファミリーはこちらの希望通り動いてくれた。
 すなわち、ボンゴレファミリーに銃を向けてきたため、こちらは正当防衛と称して一ファミリーをつぶせたわけである。
「ボロネーゼファミリーね……本当にちっちゃいとこだなあ」
 なんか悪い事しちゃったかも。と今更のように口にする綱吉だが、様子だけ見れば全く悪びれていない。なんせ今回の紛争には綱吉も直接参加している。
 本当は自分も行きたいとレバンネは思っていた。銃の使い方は分かっている。伝説にまでなった彼のヒットマンには及ばないが腕は悪くない。この手を血に染める事はいつでも出来るし覚悟もしている。けれど綱吉がそれを良しとしないのだ。
『君には、血と無縁な世界に居てほしいから』
 生まれ変わってからはわざわざ日本にいる京子に預けられて、12歳までは普通に育ったけれど、結局は自分の意思でイタリアまで来た。
 近くに綱吉が居ないのであれば、自分の生まれてきた意味は本当になくなってしまうと思うから。

 綱吉は愛する者が争いのない世界で生きる事を望んでリボーンを『復活』させた。

 リボーンにはそれ以上の願いがあって『レバンネ』として復活した。

 それだけが自分達の全て。






 後日、壊滅させられたファミリーに所属していたと言う男が一人、ボンゴレの使用人として雇われる事になった。先の紛争でボンゴレに『助力』したとして恩赦に当てられたのだ。男の名はロッソといい、ファミリー内で妙に気に入られた彼は、10代目と彼の恋人に長く仕えることになる。








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たまにはボスらしい綱吉を書いてみたいと思って。。。