始まりがどこだったのか、よく分からない。
「好きだ」と直接言われたのは13歳になったとき。
 でもその前にも一度こっぱずかしい事を言われた。

 俺の”瞳”に惚れたって言うんだぜ―――








― U・SHI・O ―









 彼らが家に来た時からエドワードが軍属になることは決まっていたのかもしれない。
 そう思いたくなるほどに二人の軍人はジャストのタイミングで訪れた。
「私は一つの可能性を提示する」
 ロイ・マスタング―――東方司令部を与るその男は、聞いているのかいないのか分からぬ様子の少年に、保護者であろう老婆に力強く聞かせた。
 ロイはエドワードの家を目の当たりにし、そしてロックベル家を訪れた時にはすでに兄弟を連れ帰る算段をしていた。誘いこむ場合のメリットがデメリットよりも大きいとロイは踏んだのである。
 問題は彼らが行く気になるかどうか。その気の無いものがやっていけるほど軍は甘くない。しかし、できることならこの少年たちを連れ帰りたいという、一種の使命感がロイを突き動かしていたのも事実であろう。
 これほどの逸材は、恐らく他には無い。
「決めるのは君だ、エドワード・エルリック君」
 そう言って少年の目を見たときロイはハッとする。


 すでに死んだと思われていた双眸に光りが宿った瞬間を見た。
 ひたすら前を、遠く先を見つめて揺るがぬ金剛の宝石がそこにある。
 今まで見た中でもっとも美しい、瞳の光彩。
 金の双眸にロイは心を奪われた。
 今まで睦言を交わしてきたどの女性よりも美しい。
 まさに、闇の中で煌く光。


 見惚れたのはほんの僅か。

 次の瞬間にロイは『恋』に落ちていたのだった。





 そんな事をさらりと言えてしまう男に、エドワードはある種の嫉妬を覚える。
 どうしてこの男は当の本人を目の前にしてそのようなことをズケズケと言えてしまうのだろう。
「俺あんまりこの眼の色好きじゃない」
「私は大好きだが」
「……あん時どう考えても俺ガキだぜ。それがいい歳にもなって」
「惚れてしまったのだよ」
「やかましい」
「そう恥かしがらないでも」
「だれが恥ずかしがっとるか!! だからそもそもその信憑性の無い話を今ここでしてるんじゃねぇよ!」
 ダメだ。こいつと話すと俺の方が疲れる。

 エドワードは心の中で唸った。
 最後にはいつも怒鳴ってしまうから、別に勝負を決めてるわけでもないのになんだか負けたような気になって悔しい思いをするのだ。
 ロイはロイで納得のいかない表情を浮かべてじっとエドワードを見つめる。
「どうして君は私の言うことを信じてくれないのだね?」
 あんまりにも相手の顔が至近距離にあるものだから、エドワードは妙な焦燥感に煽られてワタワタしてしまう。自然と顔が熱くなっていくのを自覚できてしまうのもかなりの泣き所だ。

 今いる場所がどこかといえばイーストシティの中枢を与る軍の東方司令部施設内の一室。若干29歳にして大佐という階級まで上り詰めた青年、ロイ・マスタングが執務に使う部屋の中。そこに置かれたソファで戯れるのは当の部屋の主と訪問者である一人の少年。
 恐ろしくも上官にタメ口を使う、エドワード・エルリック満15歳。
「いや……だから……信じる信じないの話では無くて……」
 そもそも話の発端がどこからだったのか、エドワードはもう忘れてしまった。
 ただ、人のうらやむ地位を得て、遍く女性に人気があり、実力も十二分に持っている、充分すぎるくらいに”男前”な大佐がどうして自分にかまうのかが分からない。
 だってそうだろう。

(できればコイツにだけはハマリたくないんだよなぁ)

 後々の事を考えると妙に怖くてエドワードは彼からの行為を素直に受け止められない。
 そもそも男同士なんだが、という問題点は一番最初にロイの一言で抹消されてしまった。曰く『君に関しては考えないことにした』のだそうだ。
 もうすこし深刻に悩んでくれないだろうかと、エドワードは真剣に頭を抱えた。だが真面目に取り合っていてもこちらが疲れるだけなので、今はもう聞かないことにしている。最初に感じていた嫌悪感が徐々にだが薄れてきているというのも質が悪い。
(まずいよなぁ――)
 あんなに嫌だった肩に置かれる手も今はとても暖かく感じられて。
 無意識であろう、額へのキスも普通に受け止めるようになってしまった。
 互いの唇で交わすキスは軽いものから深いところまで。
 唯一超えていない”一線”が一体どこまで保たれるだろうか。


(ぜってぇ危険だ……)


「鋼の――」
 そら来た!
「だあああっ、タンマッ、タンマだ大佐!!」
 自然な流れであるかのように首元に顔を埋めてくるロイに対し、エドワードは両腕を思い切り突っぱねて二人の距離を保とうとした。だが相手も軍人。自然と押し合いへしあいの力比べとなる。
「今さらだぞ、鋼の。いい加減観念しなさい」
「いーやーだ!!」
 今更ってなんだよ、今更って!!
 一応弟よりは疎い方ではあっても15歳という健全なお年頃である。
 そのまま事を進めてしまうとナニをどうされるとか漠然と想像されてしまうわけで……。


 ピシリ、と頭のどこかで硝子の割れたような音がした。
 同時にエドワードの動きも固まってしまう。
「鋼の?」
 突如エドワードが動きを止めたことに、ロイは戸惑いを隠せない。
 と、更なるびっくり発言がエドワードの口から飛び出してきた。
「冗談じゃねぇよ! そんな恥ずかしい事出来るかっ」
 こんな真昼間から!
 しかも軍施設で!




 なんと、まあ。
 今度はロイのほうが動けなくなってしまう。
 今の発言は否定というよりも―――。
「では、私の家で明かりの無い時間だったら良いということかね、鋼の」
「・・・・・・・・・・・・・へ?」
 何を言っているのだろうか、この男は。
 多少混乱気味になっていたエドワードは、だから最初気付かなかった。
 どうやら心の中で思っていたはずの事を無意識に声に出してしまっていたらしい。
 何てこと!!
 エドワードはよけいに恥かしくなり、顔がどんどん熱くなっていく。

 顔だけじゃない、指先まで熱い――。

「ばっかやろう……」
 エドワードから弱々しく吐かれる悪態も、ロイからしてみれば甘い囁きにしか聞こえなかった。
 ただただこの少年が愛しい。
 大の大人がみっともなく頬を緩めて金色の少年を抱き寄せた。
 今度は僅かな抵抗もなく、すっぽりと自分の腕に納まっている。
「鋼の」
 少年の背中に廻した左手を、そっと相手の左耳に這わせてみる。
 軽くそれに反応するが返答はないし抵抗の動きも無い。
 更に調子に乗って耳の後ろから、つ、と首のサイドを伝って鎖骨のあたりまで動かしてみるがそれでもやはり抵抗が無かった。
 これは本当に珍しい。
 今までに無かったエドワードの態度に内心首を傾げつつ、しかし据え膳食わぬはなんとやらという思いもあって、若干のからかいを込めて彼の耳元で囁いた。

 今夜、うちにおいで?



「んな……っ」
 ふざけるな、と叫ぼうとしたエドワードだったが、扉をノックする音に邪魔をされてそれは叶わなかった。
 先に人の気配に気付いていたらしいロイはさっさと自分の机に戻り未処理の書類を片付け始める。
 部屋に入ってきたのは案の定ホークアイ中尉だった。
「あら、エドワード君、来てたのね」
「はい、お邪魔してます……」
「? 大丈夫?」
「なにが……」
「なんだか顔が赤いけど熱でもあるのかしら」
「だ、だ、大丈夫! なんでもないから!!」
 言うが早いかバッと跳ね起きたエドワードはそのままじゃあな、とだけ挨拶して、猛ダッシュで執務室を飛び出していった。後に残されたホークアイがボウッとしたのは一瞬の事。事の次第に気付きロイの方に目を向けると、こらえきれないといった感じで上司が肩を震わせて笑っていた。
「大佐……またエドワード君で遊んでいたんですか」
 普段と変わらぬ表情のようで、実は多少怒りのこもった双眸を上司に向けるホークアイ。
 何に怒るかと言えば、まずは上司が『またしても』『不真面目に』決裁書類に向かっていたのだろうということ、そしてその間はエドワードをからかって遊んでいたのであろうというこの二点に対してだ。
 彼のサボり癖が今に治るわけではない。
 が、少年の人権くらいは守れなくてはいけないはずだ。
 そう思って出てきたホークアイの発言だったが、ロイはいやいやと首を横に振る。
「私は彼で遊んでいたつもりはないよ。ただ求愛の意思を伝えていただけだ」
 それを『からかう』と言うのではないのか。ホークアイは思う存分深い溜息を吐いて、もう良いですとこの話題を打ち切った。ごめんなさいね、エドワード君、と心の中で謝罪する。
 この彼女の心情をしぐさだけで読み取ったのか、フッと苦笑を洩らしたロイは、一応これでも真剣なんだがね、と口ごたえしてみたが全く彼女には相手にされなかった。
 仕方なしに机上の書類の山に向かい始める。出来れば今日はあまり残業せずに家に帰りたい。確証はないけれど、もしかしたら、ということもある。

 もしかしたら
 彼が来てくれるかもしれないから。

 かすかな期待を胸に秘めて、ロイはいそいそと仕事に取りかかった。










 エドワードはというと、アルフォンスの待つ宿を目指して駆けていた。
 一度も後ろを振り返らずに、顔を赤くしたままで。
 いつもの見慣れたイーストシティの町並みが、視界の中に現れてはすぐさま後方へと消えていく。
 こんなにも全速力で走り続けるのは久しぶりでエドワードにしては珍しく息を切らしていた。
 鍛錬を怠っているつもりは全く無かったが、今日に限っては特別だと思うことにする。
 だってそうだろう。
 今エドワードは逃げる必要の無いものから逃げようとしている。
 しかもそれはどこから襲ってくるわけでもなく、自分を傷つけるものでもない。
 この町にいる限り、否、たとえどこにあってもそれは執拗にエドワードを追い続けるのだ。

 少し前まで自覚などしていなかった、見ないふりをして知らぬものとして通すつもりだった。

 誰かが、誰かを、好きになる気持ちだなんて―――。

「―――!!」
 もうクタクタだ。
 目的の宿まであと数ヤードというところで目に入った薄暗い家屋の隙間に身体を忍ばせた。
 細道の奥に目をやるが、日中であるにもかかわらず陽の光りが差し込まぬようで何があるかなどはほとんど認知できない。
 ただ人の気配は無いようだった。
 エドワードは、はぁと息を吐くとそのままその場に座り込む。
「勘弁してくれ……」
 うずくまるエドワードの顔はまだ熱い。
 参った。
 完全に参った。
 もう気付いてしまったら終りだ。
 今エドワードの脳内を占めているのはロイのエドワードに対する感情ではない。


 エドワードの、ロイに対する感情なのだ。


「ついてねぇ。絶対ついてねぇよな、俺って」
 そんな自虐的な台詞も弱々しく、なんの救いにもなりはしないと分かっていても言いたくなる。
”好き”という感情は人がどこにいようと何をしていようと全くお構い無しに己を追い立てるのだ。今は必要の無いもののはずなのに自分にかまって欲しくて四方八方から触手を伸ばしてくる。
 これを完全に受け入れてしまったらどうなるのだろう。
 エドワードにはまだ自信が無い。
 受け入れた状態で成すべきことをやり遂げる自信が、今の自分には足りないのだ。唯でさえぐらつきやすい足場なのに、更にはそれを壊してくれと言っているようなものである。

「アル……」
 宿で待つ、鎧に魂を住まわせる弟の名を呼ぶ。
「アル……アルフォンス」
 両手を組みぎゅっと力を込める。傍から見れば身体を細かく震わせているのが分かったことだろうが、本人に自覚は無い。
 分かっているのは、このままではいけないということ。

 自分には必要ない。

 今の自分にはあってはならない。

 誰かを好きになる気持ちなんて。

 好きになって”幸せだ”と思ってしまう感情だなんて!!



「今の俺には……アルフォンスしかいない……」
 ただひたすら弟の幸せを願う。
「あいつを早く元に戻してやらなきゃ……」
 その為だったらなんだってやる。
 この身体も、命だって惜しくない。
「必ず……」
 そう、惜しくないと思っていたこの命が、
「だから……」
 全くの第三者に愛されることになろうとは、
「ダメなんだ……」
 思ってなくて。
 想いたくなくて。
 潮のように押し寄せてくる”ソレ”にエドワードは泣きそうになった。

「なっさけねぇ……」

 それでも自覚して初めて気付いたことがあった。
 ロイはエドワードに対し、初めて会ったときに一目惚れしたのだと言った。
 ではそれに対し自分はと問われたら。

 それはお前に『君の瞳に惚れたのだ』と言われた、どうしようもなく恥ずかしい瞬間に自分も彼に惚れたのだと。

 きっと今なら答えられることだろう―――。






fin.


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人を好きになる気持ちに始まりなんて本当にあるのかと思いつつ書きました。
始まりというよりも”きっかけ”という方がしっくりとくるような・・・いやそれも違うか、ま、良いか☆
やはりロイさんがエド君にほれたのはあの邂逅の一瞬ではなかったかと!
いや、間違いな!
ロイさん、見てないようでしっかりエド君を見てましたし!(だって”焔のついた目”だって!確信犯だよこの人!!:笑)
ちょっと尻切れトンボな感じですが、このあと肝心のアルフォンスからご叱咤を受けて正式にロイエドになる流れですねvv



2004.12.12