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=望む故に、望まぬ故に=
今日は朝からつまらないと思っていた。 予定にしていたお休みが、急な仕事でご破算になり、そのために行こうと思っていたところにもいけず、尚且つ自分の嫌いな雨が降っている。 まったくもって、朝から機嫌が悪いことこの上ないロイ・マスタング大佐だった。 ここは東方司令部の事務室。 リザ・ホークアイ中尉は昼からずっと頭を痛めている。 一つ、降り止まない雨の為に屋外訓練が延期になってしまった。 一つ、訓練延期のため、今後の予定を大幅に変更しなければならない。 一つ、それなのにも関わらず、当の上司の仕事がはかどらない上に、部下に八つ当たりをするのである。 以上。 表情だけではなんとも涼やかに見せているホークアイだが、内心はかなり困惑している。 先程同僚であるジャン・ハボックに、いつもなら笑って流せる書類のミスをつつかれて注意を受けたと聞かされた。ジャンだけではない。ブレダやファルマンも同様で、今日の大佐は近寄りにくいと難しい顔をしていた。 (原因はやはりこの雨なのかしら……) 思いつくところはたった一つで、それを思うと溜息を吐かずにはおれない。 どうすればいいのかも明確といえばあまりにも明確で、まったく自分は何てお人良しなんだろうと思うばかりだ。 だが、ロイの機嫌の悪さは他の部下にも影響を及ぼしている。 このままでは本日の業務がまっとうできるかどうか……。 ふう。 再び胸に溜まったものを吐き出したホークアイはおもむろに立ち上がると、別室へと向かった。 「大佐、今よろしいですか?」 ノックして書斎に入ったホークアイは、相変わらず無愛想に書類に向かうロイを目にした。 胸の片隅で針先ほどのちくりと感じた痛みをやり過ごして、声をかける。 おもむろに顔を上げたロイは、ぎこちない笑みを浮かべて中尉を迎え入れる。 「ああ、どうした、中尉」 「ええ、一つご相談があってまいりました」 「何だ?」 「大佐、今日の業務はもう結構です」 「は?」 こんな間の抜けた彼の表情を見れるのは、きっと司令部の中でもほんの一部に違いない。その一部の中に自分が入っているという確信は、おそらく間違っていないはずだ。 「どうぞ今日はご早退なさってください。 私から見る限り、本日は体調がよろしくないようです。早めにお帰りになって、休まれたほうがよろしいのではないかと」 突然の部下からの申し出は、願ってもないことでこれはかなり嬉しい。 だがそれを正直に顔に出すこともできず、ロイは僅かに黙り込む。 「……今日の体調はいたって普通だが」 「でもお顔が朝から青いですわ」 「しかし、仕事が」 「本来なら大佐は本日、お休みを取られる予定でした。 それが緊急の事務のために急遽取りやめになられたのですから、今から帰って頂いてもなんら差し支えはないかと思います。 それに」 「それに?」 「――部下に八つ当たりをされるのは、大佐らしく無いことかと」 思わず絶句した。 多少の自覚はあったものの、意図的にしていたわけではなく、ただどうしても自分の気持ちが落ち着いてくれなかったのだ。 部下に対して個人の感情を押し付けるなど、上司としてあるべき姿ではない。 これでは注意されても仕方がないな。 ほっと肩の力を抜く。どうやら無意識に固くなっていたらしい。 ずるりと椅子の背凭れに身体を沈めて、ロイは力なく笑う。 「すまないな、ホークアイ中尉」 それならば。 今日は君たちに甘えさせてもらう事にしよう。 はい、と答えた中尉の笑みが、いつもより優しくロイには見えた。 雨はいよいよ本降りになっていた。 司令部から官舎へ帰るのに、車を使ったにも関わらず、全身ずぶ濡れとは困ったものだ。これで風邪を引いてしまったらそれこそ仕事に差し障る。 ロイは急いでコートを脱ぐと、さっさと自分の部屋へ向かった。 入って一番にクローゼットのところに向かい、コートをかけて軍服も脱ぎ放り込む。ハンガーにかけてある部屋着に着替えると、近くのソファにドカリと座り込んだ。 やっと一息ついたような気がする。 本当は行きたいところがあって会いたい人がいた。 まるでだだっこのような愚痴に自分で呆れてしまう。ホークアイ中尉に帰らされるのも無理はない。 急に入った仕事も午前中に終わったから問題はなかったのだ。 ただ、約束していたはずの人にこういわれてしまった。 『今日の雨ってなんか洒落になんない量だしさぁ、俺行くのやめとくわ』 その時の会話を思い出すたびに胃がむかむかする。 怒っているという自覚はない、が、面白くないのは事実。 迎えをよこそうかというこちらの申し出を簡単に却下してくれた当人への感情はかなりフクザツだ。 (つまらん……) この憂さをどうにかして晴らしたい。 取りあえずはまだ冷えている体を暖めようと、クローゼットからバスローブを取り出して、シャワー室に向かう。 部屋を出て向かう途中、通路の窓から外を眺めた。 雨は相変わらずの土砂降りで、遠くでは稲妻の発する光も見て取れる。 明かりの付いている室内なのにやけに暗く感じられるのは、恐らく天候のためだけではないだろう。 (やはりつまらんな……) 予定が変更されるということは世の常の事。 軍に居ればいつ何時事が起こるかも分からず、それこそ臨機応変に目の前の事を処理していかなければならない。 今日の事もそうだ。 会うと約束していた。 結果それはご破算となった。 だったら自分は…… 「……参ったな」 普段の自分ならば錬金術の研究なり、デスクに積み上げられた仕事なり、珍しく気を向けてやろうとするのだろうに。 今は何もしたくないだなんて――。 ふと違和感に気付いた。 自分の足はシャワー室に向かっているのだが、どうもあるはずのない音が聞こえてくる。 誰も居るはずのない、シャワー室からの、シャワーの音。 目的の場所に足を止めると、計ったようにシャワーの音も止まった。 ロイが部屋の扉を開けてみたものは……。 「よっ、大佐」 目の覚めるような金髪から足の先まで湯に濡れた少年が立っていた。 「…………鋼の」 「なんだ?」 「お前はここでなにをしている?」 「何って、シャワー浴びてたんだけど」 「そうではなく」 「家のカギならホークアイ中尉から貰ったよ」 「中尉から!?」 「迎えの車ももらっちゃってさ。流石にそこまでしてもらったら、はいさよならって言うわけには行かないだろ? 折角メシ食わしてもらえるっていうし、しょうがないなぁってことで来てやったんだよ」 ロイはまたしても絶句する。 口を半開きにしてじっとその生意気な少年を見ていた。 少年はというと、自分の腕を掴んで溜息をついた。 「はあ、なんだよ、大佐。あんたも濡れてきたのか? すんげぇ冷えてんじゃん。早くシャワー浴びてこいよ。そんで飯にしようぜ! おれもう腹へってさぁ」 二カッと笑う少年の笑顔は、ロイの視界から暗澹たるものを全て取り除かせるほどに明るいものだった。 「今日は一晩付き合ってやるよ」 あまりの『嬉しさ』に泣きたくなる感情だなんて、一体何時ぶりの事だろうか。 自分はこれが見たくて、今日という日を待っていた。 幸せだと感じるときに必ず浮かぶのは己の幸福への拒絶。 過去がロイをそうさせた。 目的には進む。 楽しい事もあるけれど、それらが恒常的であってはならない。 望んではいけないはずだった。 それでも望まずには居られなかった。 軍に属しながらも今だ光の世界に生きんとする少年のそばに、我が身が少しでもあらんことをと願わずにはいられない。 己が望むものは何か。 己がすべき事はいかに。 それは、この少年とは進めぬ道かと。 心のどこかに問いただしても、このときのロイに明確な答えは見出せなかった fin. ***************** あれ、暗くなった?(汗) この話は箱芭が一番最初に書いたものです。 再UPするにあたり消したり直したりしました。 友達以上恋人未満を目指したつもりです☆ 2009.5.10 戻 |