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=Trick kiss=
それは江戸での死闘を終え、方舟によりアジア支部に戻ってすぐのこと。 教団に戻る前に少しでも体を休めていったらどうだとのバク支部長の提案で、一同は食事をとることにした。じゃあ皆でといえば当然のように神田は「貴様らと一緒に飯など食えるか」と言いながらどこぞへと去ろうとしたところで、師であるフロワ・ティエドールに捕まりさっさとどこかへ消えてしまった。兄弟弟子のマリも一緒である。中国から新しく加わった三人は、久方ぶりの地元とあって行きたい所があったようだ。 クロウリーに関してはまだ眠ったまま目を覚まさない。 更に言うとアレンの師であるクロス・マリアンはほんの目を放した隙に姿をくらましてしまった。また師匠は――とため息をついたアレンだったが、クロスが作ったと言うゴーレム・ティムキャンピーがアレンの傍でいつもどおり飛び回っているので、逃げたわけではないことは確信している。まあ教団に戻るときには姿を現すだろう。 そんなわけでアレンと同じテーブルに着いているのはラビ、ブックマン、リナリー、ミランダの四人。話題は当然方舟につながっていったのだが、そういえば、とラビは思いついた問いをアレンに投げかける。 「なあ、アレンはあれでファーストキスさ?」 瞬間アレンは飲みかけのスープを、リナリーは烏龍茶を思い切り吹き出した。 「うわっ、きたね。何してるんさアンタら」 「な、何の話ですかラビ!?」 「ほらアレさ、ロードのやつが飛びついて来たじゃないか」 あー。思い当たるアレンのアレンの目線はすでに遠い。リナリーは笑顔を若干ひきつらせ、背後に只ならぬ淀みを感じさせているのは気のせいではないだろう。その時の状況を知らないミランダは首を傾げる。 「何の話なの?」 「それがさ、アレンのやつ……」 「わーっ、ラビ!」 身を乗り出して止めようとしたが時すでに遅し。こそこそ耳元で教えられたミランダは思い切り声を荒げる。 「えええっ! アレンさんと……っむぐ」 「ミランダ! しーっ」 危ない危ない。今ミランダは思わず『アレンとノアの一族のロードがキスをした』と叫びそうになった。何が危ないかと言えば『ノアの一族』と口にして叫ばれるのはよろしくない。なので隣に座っていたリナリーが慌ててミランダの口元を押さえた。 リナリーの切羽詰った様子にミランダも感じるものがあったようで、思い切り首を縦に振る。 ほおっと一同が息をついて、しかしまた話は振り出しに戻る。 「そんで、どうなんさ、アレン?」 「……やっぱり話さないとだめなんですか」 「甘いさ。俺の探求的欲求が満たされるまで、ずーっとアレンに聞き続けるからな」 「探求的欲求って……」 「教えてくれよー」 「ラビ……」 しょうがないですね、とアレンは初めてではない事を白状した。 「あれは何時だったかなあ」 「なんだ、やっぱり経験あるんだ」 「まあ、確かにアレン君は顔も綺麗だし」 「リナリー、それは関係ないと思います」 思わぬ人からの思わぬ一言に当人もがくりとうな垂れた。それでも思い返すことがあるようで「実際、かなり不本意だったので」と続けてくる。 「不本意?」 皆がきょとんと目を丸くしてアレンの顔を覗き込んだ。 「相手は誰だよ」 「相手も言わないといけないんですか!?」 「あったり前だろー」 すると、疲れていたアレンの表情がみるみる青ざめていく。 三人が三人とも、おや、と思う。自他共に大食いと認めるアレンの食事の動作が止まり、のみならず多少ではあるが気分も悪そうだ。 なんか、これに似た反応をみたことあるかも――。 「どうし……」 「アレン」 ピタッ。 ラビ達は思わず動きを止めてしまった。 とはいってもそれぞれで止まり方が違う。ラビとリナリーは滅多に聞いたことのない元帥の芯に響くようなベースの声に惹かれたと言っても良いだろう。ミランダも同じであろうし、ブックマンは単に声が聞こえたから顔を向けたに過ぎない。 しかし、アレンは違う。 それは間違いなくこの3年乃至4年の間に培った潜在的恐怖のなせる業。 すなわち、「クロス・マリアンが己を呼ぶときは、常に己の身に厄災が降りかかる時」と脳が記憶しており、故に身体が思うように機能しなくなる。 つまりは拒絶反応を起こすと言う事だ。 今この瞬間もアレンはまず師匠であるクロスに顔を向けようとはしない。普通に考えれば失礼な事この上ないが、この二人に関しては許されるような気がしてくる。 突如彼らの前に姿を現した神父姿のクロスは、もう一度、己の弟子を呼んだ。 「ちゃんと聞こえてるんだろうが、この馬鹿弟子が」 一度目で返事がなかったことに苛立った元帥の眦がすでにつり上がっている。 周囲はそれを戦々恐々と見つめるしかない。許せアレン、とラビは心の中で呟く。 「ナ ン デ ス カ シ ショ ウ」 ようやく返された声音と視線には、しかし明らかに不満の意図が載せられている。 反抗的な弟子の態度を予想していたのか、クロスはフンと軽く鼻で笑うと、咥えていた煙草を右手に持ち、左手でアレンの顎を掴んだ。 「ちょっ、ししょっ……!」 「煩え」 「だってここ食……んんっ!」 ピシッ。 氷点下に達した空間のひび割れる音を誰もが聞いた気がした。 あろうことか、クロスがアレンの唇に己の唇を重ねている。 すでにラビ達の他にも食堂で食事をする者、カウンターで列に並ぶ者、皆がクロスとアレンに注目していた。 ……。 …………。 ………………。 な、長いっ。 「げ……げんすい……?」 凍りきった空間でようやく一番に口を開いたのはラビだった。 混乱ゆえの「一体何を」という分かりきった問いを口にしようとしたところで、二人の唇がようやく離れる、と。 「ぷはっ」 ええーーっ!? なんとも色気のない一声に、その場に居た誰もが先程までとは異なる叫びを心の中で発していた。 「師匠! いい加減僕に腹いせするのやめてくださいよ!!」 ハライセ? 「何のことだ」 「しらばっくれないでくださいっ。どうせ声かけた女の人に相手にされなかったんでしょ? いっつもいっつも」 イツモ? 「お前が何を想像しとるか知らんがな、馬鹿弟子。そもそも俺がそんなヘマするか」 「じゃあ嫌がらせですか。しかも何で今……」 「第一俺は前にもお前に言った事があるぞ」 「ナニヲデス?」 「これが俺なりの愛情表現だとな」 「それが嫌がらせだって言ってるんですよバカ師――っ!!」 最後は痴話喧嘩のごとく言い争う師弟に、食堂に居た誰もが脱力感に襲われ地に伏した。 そうかあ、アレンの初めてってやっぱクロス元帥だったんだな、とそんなくだらない事がブックマンJr.の記憶の片隅に半永久的に記録される事となる。 ひと悶着の後、我に返って状況を完全に理解したアレンはあまりの恥かしさに落ち込んでしまったが、励ましてくれる仲間もいることなので放っておいても大丈夫だろう。 弟子をその場に残して食堂を後にしたクロスはそれとなくティムキャンピーを連れ出していた。 方舟へと向かう途中、歩きながら気配を探ってみるが近くには誰も居ないようだ。フッと不敵の笑みを浮かべてクロスはティムに「ちゃんと撮れたか」と尋ねる。 パタパタと軽快にクロスの周りを飛び回るティムキャンピー。目的の映像はきちんとこのゴーレムの中に収められているらしい。 咥えていた煙草の煙を満足げに吸い込んだクロスは、ふうと吐き出すとティムに語りかけた。 「あれを”腹いせ”なんぞと思っている限りは、やはりまだまだ馬鹿弟子だな。なあ、ティム?」 もうしばらくは遊べそうだな。 冗談とも本音ともつかないクロスの呟きは、吐き出された煙と共に天井の隅々に掻き消えた。 fin. ************************* 弟子を溺愛ゆえにバカ師(笑) 2008.9.4 戻 |