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=真名=
“好意を持つ相手ならば、いいかげん素直にならんと自らが泣きを見るぞ” クラウドめ、余計な事を言う――。 以前同僚が口にした言葉をふと思い出してしまい、内心舌打ちしてテラスに佇む人影を確認する。 雲は少ないけれど大きく欠けた月の光ではたいていのものが闇夜に溶け込む。それでも確実に探し人が見つけられるのは、その歳に似合わぬ白髪と、今まとう服装が白いため。 『マナが愛してると言ったのは、僕か、それとも――』 うつむく少年の想いが、予想以上にクロスの胸に迫ってきたのはつい先程の事。 真実を告げた時、少年が落ち込むことは十分分かっていた。しかし、それに自分がここまで影響を受けるとは思っていなかったのだ。 だから戸惑う。 (こんなガキに、自分が振り回されるのか?) 戦場であろうと、遊郭であろうと、分は己にあると自負する百戦錬磨が持ちうるはずの余裕は、今は欠片もない。 それでも放っておくことなどできないし、元来思い立ったらすぐ行動というのがクロスの信条である。 「おい」 声をかけるが返答はない。 「おい、馬鹿弟子」 なんですか師匠、と力のない声が返ってきた。 「聞こえてるなら最初に返事しろ」 「すみません……」 それで何の用かと問うてくるので、別に何もと言いながらアレンに近づく。 すうっと大きく吸い込んで、ふっと吹き出した紫煙は星空の間でたゆたう。 二人並んで無言のまま、どれだけ時間が過ぎただろう。 最初に沈黙を破ったのはアレンの方だった。 「師匠……」 こちらに顔は向けずに手すりに腰掛けて夜空を見上げながら、横に立つ男に声をかけてくる。 「なんだ」 クロスもあえて弟子の顔は見ない。 「師匠は……やっぱりボクが『14番目』だったから弟子にしたんですよね」 疑問ではなく、それは確認。確信にも近いアレンの断定的な物言いにクロスは少々苛立ちを覚える。 「そりゃ違うだろ」 「なんで、違いませんよ」 「違うだろ」 「どうして」 「順番が逆だ」 はい? とようやく馬鹿弟子が顔を向ける。 「お前は何か勘違いしているがな、俺はお前が『14番目』だからエクソシストに誘ったわけではない。お前がイノセンスをその身に宿した人間だったから声をかけたんだ。単純な事だ」 「あー、えっと……」 「お前がイノセンスをその身に宿さない本当にただの人間であったなら、俺はただ外から見ていればよかったんだ。それこそ嫌いな教団にわざわざ連れていかんでもいいだろう。俺が直接方舟に連れて行けばいい」 あ、と少年は目を見張る。じっと己の師匠を見つめ何事か口の中で呟いた。 「あの、師匠……ボク、自信ないんです」 何をと問えば、己の名前にすら自信がないという。 「名前?」 「僕の名前、アレン・ウォーカーって、気付いたらついてました。もしかしてそれも『14番目』に関わる名前とか……えっと、その……疑いだしたらきりがないんですけど」 マナが最後に愛していると告げたのは己の名? それとももうこの世にはいないただ一人の兄弟? 「自信が……ありません」 なぜ自分はこんなにも弱音を吐いているのだろう。 アレンは不思議でならなかった。 己の師、クロス・マリアンは人間としてはどうしようもないクズだと言い切れる。彼に貰った思い出に良かった事など指折り数えるほどもない。こんな我侭で身勝手な大人、嫌なはずだったのに、怖かったはずなのに。 先程抱きしめられた手の温もりが、どうしてこんなに纏わりつくのか。 もうアレから一時間は過ぎているだろうに、消えぬ温もりがとても恋しい。 けれどもう一度とはいえなくて。 せめて聞いて欲しいと漏らす弱音は、彼の吐き出す煙と共に星空に消える。 信じている。 信じている。 誰を……。 義父の愛情。師の心。己に懐くゴーレムの意思さえ。 ワカラナクナリソウダ――。 「ティムキャンピーは疑うなよ。アレは間違いなくお前になついているんだ」 アレンの心が読めたのか、クロスは言い放つ。 「お前、今更だが俺がお前に愛情なんて持ってるとか思ってないよな」 「そんなのこれっぽっちも」 「なら何に落ち込んでやがる」 「別に、師匠に大事にされてるなんて思ったことは一度もなかったですけど、それでも師匠が”ボク”を見てなかったのかもって思ったら気力がなくなったんです」 それを落ち込むと言うんだ。 クロスは心中叱責するが声には出さない。 「己の存在にすら自信が持てないというのであれば」 クロスの言葉にアレンはじっと耳を傾ける。 「一生”馬鹿弟子”と呼んでやる。これは間違いなく俺がエクソシストであるお前につけた名だからな」 「え……?」 師匠、と弱々しく漏らされる声は確かにクロスの耳に届いた。 「今日からお前はアレン・ウォーカーではなく本当に『馬鹿弟子』だ。それでいいだろう」 「全然良くありませんよ。それならちゃんとアレン・ウォーカーって呼んで欲しいです!」 「我侭なやつだな」 「どっちがですか」 アレンは上げた視線をそのまま、クロスも左目をしっかりとアレンに向けて、互いの視線が絡まったのはたったの一瞬だった。 再びアレンの後頭部にクロスの掌が触れた。 アレンは自分よりも随分と背の高い男の胸に体重を預ける。 相手の顔が見えない。見えなくていい。 今はこれくらいの距離が丁度いい。 「ちょっと離れた間にまた大きくなったな、お前」 師匠の憎まれ口が、こんなにも心を落ち着かせる。 「当然ですよ。ボク、育ち盛りですもん」 「ここまで養った俺は偉いよな」 「正直ここまでこれたのは自分の力だと思ってますから」 「生意気だ」 「当然です」 ボクは師匠の弟子ですから。 違いない。 クロスの漏らした笑みは、いつもの尊大なものではなく、飾り気のない本心からのそれだった。 この手に守れるものがあるなら、守ってみせよう――。 fin. ************************* 初師アレ。……師アレ?? 確か最初はすっごい甘々を考えていたはずなのですがね〜。 2008.9.4 戻 |