=それは小さな一つの波紋=








 とある晴れ日和。
 教団本部の窓から見える青空はどこまでも高い。厚めの雲がすうと流れていく様は一瞬現実を忘れさせるだけの癒しがあった。石造りの建物の廊下には幾人もの足音が重なり響いている。
 本部の奥に位置する食堂には時間には関係無しに誰かが必ず足を向けるので人が絶えない。しかし天井を三階分吹き抜けにしているので喋る人の多い割にはさほど騒がしいと思ったことはなかった。
 今はもう昼食時のピークを過ぎて、コーヒーを片手に談笑しているものが多い。

 その中で男は一人窓際に座り、何をするでもなく煙草をふかして外ばかりを見つめていた。

 見事な赤毛の長髪と大柄な体格で黒の神父コートを着用しているものだから誰から見ても目立つのだが、逆に彼のかもし出す雰囲気によって我関せずと意識をそらす。
 男もそれで丁度よいと思っているのだから性質が悪いといえるだろう。
 さて、これからどうするかとぼんやり考えているところへ聞きたいとも思わぬ声が聞こえてくる。
 間違いなく呼ばれているのだが後が面倒なので無視を決め込んだ。
 しかし、そんなもので引き下がらないのは、間違いなく馬鹿弟子の友人だとクロスは勝手に決め付ける。任務で外出した少年の顔が頭に浮かんだ。
 そんな目に見えぬ思考など知るはずも無く、クロス元帥、と若干聞き覚えのある声が己を呼ぶ。
 自分よりも更に明るい赤毛のエクソシスト。
 ラビ。ブックマンジュニア。
 皆がそう呼んでいる。
 彼の後ろに師匠であるブックマンも立っていた。
 いつもなら男になんぞ呼ばれても嬉しいはずがないので睨みを利かせて退散させているところだが、今日は天気が良いせいか、まあいいかと一応は話を聞く事にした。

「なんだクソガキ」
「俺は名前はラビさ。クソガキなんて年でもないぞ」
 言われて不貞腐れたような顔を見せるが、さてそれが本心かは分からない。なんせかれは”ブックマンジュニア”なのだから。
「てめえくらいの奴ならクソガキで十分だ。お前、アレンと一緒に出たんじゃないのか」
 クロスのだった一人の弟子、アレンはイノセンス回収のため、今はフィンランドへ飛んでいる。二、三日前に出立し、だいたい一週間はかかるという話は聞いている。
 アレンが行くならラビもついていくのだろうと思っていたが、そうでもないらしい。
「そりゃ行けるんだったら一緒に行ったさ。でもこれ任務だし。今回はメンバーからはずれたんさ」
 ユウが一緒さ、とラビが告げる。
 ふうん、とクロスは生返事を返して、ほんの数秒少年に向けていた視線をまた窓の外に向けた。
「それで、俺に何の用だ」
 こちらから先に切り出す。
 別に、と言いながらもラビはクロスの座る場所の丁度反対側に座り、顔を覗き込ませてきた。
「ちゃんと話をしたこと無かったから、話してみたかったんさ」
 へへ、と照れたように笑う。
 こりゃあ本音の笑みだな、とクロスは内心ほくそ笑んで左眉をあげて見せた。
 特別追い払う気にもならず、まあ少しだけならと相手の話に付き合うことにした。
 ブックマンもジュニアの横に座り、ずずっと手にしていたお茶に一口つける。



 ラビの感心はもっぱらアレンの修行時代の事だった。
 まあそれは容易に予想のつくことではあったので特に気にする事も無く、適当に質問に答えたりはした。
「元帥は女がいないと生きていけないんさ?」
「当たり前だ」
「もし女性が滅亡したら?」
「男も死ね」
「元帥、それ自分も入ってるんさ」
「男はな、女がいなけりゃ生きていけねえんだよ」
「そりゃそうさ」
「俺は男は嫌いだ」
「ふうん……」


 じゃあ、なんでアレンを弟子にしたんさ?


 首をかしげてラビが問う。
 クロスが思い当たる理由は大きいものがひとつ有るけれど、それだけでもないために、さてどこまで話すやらとほんの少しだけ考えた。

 ほんの少し考えて、思い浮かんだ台詞をそのまま口にする。

「…………そん時の気分だな」

 ええっ、とラビは眉間に皺を寄せて、クロスに顔を近づけるように身を乗り出した。
「そんなのって! じゃあ気が向かなかったら弟子にしなかったのか?」
 少年が自分のことのように顔を顰めてこちらを見るので、意地の悪いクロスはなんだか面白いとほくそ笑んだ。
 ただ、返す言葉は適当に。
「どうだろうな」
 正直あの当時のことは思い出したくない。
 さて話はここまでだと立ち上がったクロスに、ラビは慌てて最後に一つ、と腕を掴んできた。
「これすっごい聞きたかったんさ」
 ああ? と聞き返す代わりに殺気の篭った目を向けたが、さすがそこはエクソシスト。修羅場をくぐってきただけあってこれしきのことでは怯まない。
 必至に手に力を込めてクロスを留まらせるラビは畳み掛けるように質問を口にした。

「なんでアレンに金を作らせたんさ」

「なんだって?」 
「いくらあんたが女好きの酒好きで浪費家だったって言ってもパトロンいたんだろ。金を作る手立てはいくらでもあったんじゃないのか。どうせいつかは教団にツケを回す気だったんだろ。じゃあアレンにそこまでやらせる必要なんてないじゃん」
 どうなんだよクロス元帥。



 じっとこちらを見つめてくる少年の真っ直ぐさにクロスは深々とため息をついた。
「下らん、そんなことか」
「そんなこと、ていうなよ。だいたいアレンもアレンだ。逃げようと思ったらいくらでも逃げれたのに師匠の言う事だからってイカサマまで覚えちゃったし」
「ふん、それこそ詰まらん話だぞ」
 今思い返しても大笑いしたくなるほどにくだらない記憶をクロスは引っ張り出す。
「あいつはな、おれの全財産を持って行きやがったんだ」
「……はい?」
 未だに腕を掴んでいるラビの手を外し、ほこりを払うように反対の手でその場所を払ったクロスは吸い終わった煙草をひょいと食堂の床に投げ捨てて、新しいものに火をつけた。
 ふう、と大きく紫煙をくゆらせると表情の無い目で少年を見る。
 あ、これはやばいかな、と思わせるくらいに彼の威圧感は大きい。が、そこで本当に怯んでしまってはブックマンジュニアとしての義務(?)は果たせない。
「元帥……」
 勇気を最大限にまで奮い起こして声をかけると、おい、と睨みをきかすクロスはラビに質問で返した。
 お前、あいつの食欲知ってるな。

 一瞬何のことかと思考が止まって、ああ、と思いついたラビは何度も頷いた。
 それに満足したか、多少表情を緩めたクロスは続けて少年に種明かしをしてやった。
「アレンのあの食欲は昔からだ。一日目から俺は泣かされたもんだ。
 なんせたったの12歳で、一か月分をたった一日で食いやがったからな!」
 はっとそこでラビも気がつく。
「もしかして……」
 本当に、笑いが出てくるほどの怒りが今でも思い返される。
 この時見せたクロスの笑みは間違いなく食堂全体を凍らせるほどの凄みがあった。ラビは思わず後ずさる。
「あー、あの、クロス元帥……」
「あいつはオレが向こう半年は使う予定だった金を半月で使い切りやがったんだ!!
 そんな奴の為になんでオレがわざわざ金を工面してやらなきゃならんっ。
 だから言ってやったんだ。テメエの食いぶちはテメエで都合つけてこいってな!」

「ああ〜〜」
 なるほどねえ、とラビは呆れたように、けれど納得もしたらしく、その場を静かに離れていった、ブックマンはブックマンで「痴れ者が」と呟きながらラビの後を追うように出て行く。
 結局なんだったんだと昼休みを台無しにされた気分になったクロスは、自室に戻って飲み直すことにした。



 先程までの会話の影響か、クロスは久々に当時の情景を思い出しながら歩を進める。
 記憶を振り返る、という行為は好きではない。
 思い出しても気分の良いといえるものはあまり無いから。
 とは思いつつも、あの当時を振り返るのは全てが全て嫌いというわけでもない。
 あの頃のアレンは何か強い感情にしがみ付いていなければ立つ事も叶わないほどにショックを受けていた。
 怒りだろうが、憎しみだろうが、それで生きていけるのであればそれでいいじゃないか。
 だから好都合と思って仕事をさせた。従事もさせた。己に対する怒り、憎しみで生きていけばいいとすら思っていた。
 けれど、アレンから本気でそんな感情を向けられた事は、結局のところ一度も無い。

 怒っているのは心許しているから。

 憎む前に縋る対象として。

「おかしいな……」
 そんなつもりはなかったけれど、結構アレンは真っ直ぐに成長したように思える。
 まさかな、と思ってたところに見慣れた金色の球体が目に止まった。
「お、ティム、帰ってきたのか。なんだ、随分と早いご帰還だな」
 フィンランドはどうだった? と聞くとティム・キャンピーは楽しそうに羽を羽ばたかせてクロスがあげた右手の甲に止まる。
 そうなればあと数分でこのゴーレムを追いかけて、たった一人の『愛弟子』が顔を見せに来ると思われた。

 先程までの胃の辺りに苦く燻っていたものが霧散する。
 成長した彼を見るのはとても楽しい。
 それこそが己に今まで存在しないと思っていた感情で、受け入れてしまうととても手放しがたいものだった。

 さて、酒の相手にはならないが仕方がない。
「今日は寝るまでつき合わせるか」
 相手が仕事帰りで疲れていることは明白だが、無論、関係のないこと。
 急激に気分の良くなったクロス・マリアンは足取りも軽く、彼らがいるであろうロビーへと自ら向かった。
 












fin.





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現実考えてクロス一人がアレンの食費を賄うのは無理だろうと思いました。
そこをアレンに直接伝えていないところは師匠の歪んだ愛情って奴です(笑)



2009.5.2