=ミス・ティアに捧ぐ=
2.







 学内をゆっくりと歩いているロックオンとアレルヤの耳に、何やら興味深い会話が飛び込んできた。


 さっき凄い美人がね


 あれって民俗学専攻してる子でしょ


 急に来たと思ったら挨拶もなしに


 でもすっごい可愛い人だったなぁ


 目の保養よね


 そうそうと言いながら歩き去るグループを背に、二人は目配せして頷いた。
 断片的な台詞しか聞き取れなかったが、ここで何が起こったかは大体の予想がつくというものだ。それくらいに自分達の付き合いは短くても深い。
「なるほどねえ」
「確かに、来てほしくないかもしれないね」
「刹那も良い男になったってことだな」
「その分苦労もしそうだけどね」
 違いねえ、と人ごとのように笑っている二人だが、その場に居ない人間達よりも自分達のほうが現段階で周囲の視線を集めていることには気付いているのかいないのか。後に彼らの写真データが密かに女生徒たちの間で広まるのだが、それはまた別の話である。







     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・







「どこまで行くんだ、刹那」
 引っ張られた手はそのままに、ティエリアは刹那が進む先へと足を動かす。
 辺りを見回せば、まだ地球にもこんなに静かなところがあったのかと内心驚いていた。
 明らかに人の手によって植樹された木々は均等に林立し、頭上から降る陽光を枝葉が受け止めて鮮やかな緑色の天井を作っていた。どこからか鳥のさえずりも聞こえる。刹那が道なき道を行くので、脛辺りに草薮の触れる音が絶えない。
 それにしても行き先がはっきりしていないというのは居心地が悪いものだ。ティエリアがもう一度問うと、今度は返答が返ってきた。
「もう少しだ」
 刹那は前を向いたきりでこちらを振り返ろうともしない。まさか、先程ひっぱたいた事を怒っているんだろうか。
「刹那……怒ってるのか?」
 と、初めて刹那が足を止めた。
 くるりとこちらを向いた彼の双眸は、いつもの落ち着き払ったライトブラウン。普段と変わらない彼の様子にティエリアはほっと息をついた。
「怒ってなんかいない。ティエリアの気持ちを考えたら、さっきの事も仕方がないと思っている」
 やはりあれは苦し紛れの嘘だったのか。
 自分の予想が外れていなかったことに満足して、ではどうしてと聞こうとすると刹那はまた進み始める。
「どこに向かっているんだ」
「俺の秘密の場所」
「秘密?」
「ここだ」
 すでに目的の場所に着いていたらしい。ティエリアは開けた視界に息を呑んだ。

 なだらかな丘に囲まれて、静かに佇む透明な水面。
 撫でるように通り過ぎる風に寄せられた波の一つ一つが光を反射して眩しい。
 そこには随分と大きく湖が広がっており、上空から見下ろさなければ正確な輪郭は確認できないだろう。
「綺麗なところだな」
 世辞ではなく、心からそういうと刹那は軽く笑った。感情表現の方法が極端に少ない彼も、最近ようやく笑ってみせるようになった。満面の笑みではなくても、それは刹那自身がとても喜んでいる事に繋がるのだ。
 幼い時に受けた心の傷はそう簡単に癒えはしない。
 なおかつ、消えない傷を抉られながらも戦場に身を置いていたのは、ほんの一年前のことである。
 笑みを浮かべて、刹那はその場に座るよう促してきた。繋いだ手はそのままに二人は湖のほとりに腰を下ろす。
「さて、では説明だ」
 さっそく本題に入ろうとするティエリアに対し、刹那は顔をそらして黙り込む。
「おい、刹那」
「説明しないと、駄目か」
 あちら側を向いたまま話す刹那。右耳に付けられたキャッツアイのピアスがティエリアの目に止まった。実は今同じものがティエリアの左耳にも付けられている。
 ふと思いついて、刹那の耳元に近づくとささやくように告げる。
「言わないと、絶交だぞ」
「えっ!」
 ばっと振り返って刹那はばつが悪そうに俯いた。
 このままでいくとおそらく日が沈んでも明確な説明はされないだろう。
 困った奴だな。
「どうして、あんな嘘ついたんだ。俺に来てほしくなかったんだろ?」
 軽く頷く。
「どうして?」
「……嫌だった」
「何が?」
 何がそんなに嫌だったんだろう。次に聞く台詞がもし自分にとって不都合なものだったらと思うと怖くなる。無意識に繋いだ手に力を込めると、相手も握り返してきた。
「ティエリアのせいじゃない」
 その手に込められた意味を正確に受け止めて刹那は言う。
「では……」
「学校のやつらに見られるのが嫌だった」



「は?」
 何の話だと首を傾げるティエリアに刹那は今度こそ相手の目を見て口を開いた。
「ティエリアはそこにいるだけでみんなの視線を集める。
 ティエリアは自分の容姿には興味ないんだろうが、他のやつらは違う。クラスのやつらと話してても、いつも見た目ばかりを気にしているやつもいた」
「そう、なのか?」
 ほとんど人と触れ合うことがないティエリアには少々分かりにくい感覚だった。
「そうだ。それで、ティエリアは本当に綺麗だから、ここに連れてきたらきっと他のやつらが近づいてくると思って……」
 それ以上は口ごもって言葉にならないのか、刹那はまた黙り込んでしまう。
 気恥ずかしくなったのか刹那の顔が赤い。しかしそれ以上に赤くなっているのは自分のほうだと思う。
 そもそも男に対して『綺麗』という言葉は褒め言葉にはならないと考えている。だから自分の見た目なんてものも気にしたりなどしないのだが、どうして刹那から言われるとこんなに恥かしく感じてしまうのか。
 話が逸れた。
「刹那は、俺が浮気するとでも思ったのか」
「違う。そんな事ではない」
「では何だ」
「大学に入って改めて知った。この世界には本当に色んな人間がいて、俺よりもしっかりとしたやつなんてそれこそごまんといる。もしそんなやつを見つけてティエリアが俺から離れてしまったら嫌だと思った。だから、来て欲しくなかった」
「なんだ、やはり俺の浮気が心配だったんだな」
「違う」
「何がどう違う」
「ティエリアが言っているのは、自分のところに帰ってきてくれる可能性があるってことだ。そうじゃない、俺は、俺の傍からティエリアがいなくなる事が嫌なんだ」
「君は……」
 刹那が一番恐れているのは、ティエリアが外の世界を『知って』しまう事だった。
 今まで限定された人間関係の中で自分を選んでくれたのだとしたら、もっとたくさんの人間を知ったときに彼の心がどう動くのか、刹那には自信が持てない。
 だから敢えて可能性を潰そうとした。
 まるでそれは子供の思想だ。

 単純で自分勝手だけれど、でも純粋な想い。

「では、閉じ込めておくといい」
「え?」
 ティエリアの台詞に刹那は顔を上げた。
「そんなに心配なら俺をあの家に一生閉じ込めておくといい。そうすれば俺はお前以外を見ようとはしない。見ることもないし、きっと気持ちも動かない」
「ティエリア」
 ふっ、とティエリアは笑みを深くした。
「お前もまだまだ子供だな」
「……ティエリアに言われたくない」
「煩い」
 交差した視線に引かれるまま、二人の唇が重ねられた。






 ところでと刹那が切り出したのは、秘密の場所を後にして歩き始めてすぐの事だった。
「その服はどうしたんだ?」
 今更な質問だが、それよりも優先させるべき課題が二人にはあった為に話題に出なかっただけの話で、本当ならいの一番に尋ねたい事項だった。
「これか? これはスメラギが送りつけてきたものだ」
 おどけたように両腕を左右に開いて己を見せるティエリアを、刹那はそれこそ上から下まで余すところ無く観察した。
 黒のショートブーツに膝下までの黒のレギンス。
 上のワンピースはスマートなラインの赤紫を基調とした花柄で、肩に羽織るカーディガンはラメ入りの黒地でゆったりしたものだ。
 レース状のマフラーを首に軽く巻いて端は胸元に下ろしている。
 刹那の記憶する限り、この手の服は確実に女物である。男としての自覚はあるのに見た目からして性別判断の難しいティエリアが自ら選ぶタイプのものではない。
「どうしてこれにしたんだ」
 しかも今日は人の多いところに来ると分かっててそれなのか。
 刹那の質問に対してティエリアの答はいたってシンプルだ。
「特に理由はない。これが一番とりやすい場所に置いてあったんだ」
 はやく家を出たかったからな。とティエリアは言うが、だったら尚更いつもの普段着でも良かったのではないかと考える。
 急ぐのであればマフラーまで着けなくとも良いのではないかと二人の同居人ならばつっこむところなのだが、普段から着用している刹那にはそこは注意すべき点にはならなかった。

 当然、その日の夜はティエリアの暴走が話題になり、一同で笑いの種になったことは言うまでもない。

「今日は一緒に寝れるよな。仕事は一区切りついたんだろ」
「ああ……何日空けた?」
「一週間はお預けだった」
「――了解した」
 では今夜は貴方のエスコートで。







fin.



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最後の数行は間違いなく逃げです☆ 別のページに乗せるときに加筆できたらいいな……。 本当は学校でも喰らいつきたかったせっちゃんだったりします。

2009.4.18