=まどろみ=
《未来設定》
思い切りドアを開ける音が聞こえたかと思ったら自分の腹部にぶつかってくる何かがあった。
今ティエリアは家の掃除も終わらせて、さて自分の仕事に手をつけようかとリビングのソファに腰を下ろす。テーブルに常時設置しているノートパソコンの電源を入れ、取り掛かろうとした時に『それ』は飛び込んできた。
「…………重いよ、刹那・F・セイエイ」
あ、昔の癖が出てしまった。
でも仕方ない。この状況では少しでも尖った物言いをしたくなってしまう。
リビングに駆け込み、勢いのままティエリアに抱きついてきたのは、この時間なら大学に行っているはずの刹那だった。
「君、大学に行ったんじゃ」
「行ってきた」
「講義は午後もあっただろ」
「ある。もう一度戻る」
「おい刹那。人と話すときは顔くらい上げろ」
いつまで蹲っているんだ。
ティエリアの腰に両腕をぎゅっと回して刹那は俯いたまま。
学校で何かあったんだろうかと推察する。そもそもが彼独特の生い立ちを持つ少年だった。同じ年代で人も多い大学などに行って何もないわけがない。
「何か、嫌な事でもあったか」
尋ねても相手は黙り込んでうんともすんともなし。
「刹那、俺は仕事がしたい。だが君がそうやってくっついてると邪魔だ」
本当に言いたい事はそんな事ではないのだが、相手が何かしらの反応をしてくれないと、ことは全く進まない。
10分ほど我慢して、ようやく刹那が口を開いた。
「さっき、学校で……」
「うん」
「一限目の講義が終わって、昼はどうしようかって言ってたらクラスの奴が」
「うん」
「午後はもう無いからと言って帰っていった」
「ふうん」
「母親が迎えに来てた」
そうか、とは口に出来なかった。
「刹那はそれを見ていたのか?」
「校門の近くまで一緒にいたから、目に入ったんだ。一緒に食事に行くのだと……」
まだ顔を上げない刹那の後頭部に、軽く手を這わせた。少し癖のある髪の一本一本がやわらかくてまるで猫のようだ。
話を聞いてティエリアは考えた。恐らく刹那は友人とその母親を前にして、昔の自分と、生きていた頃の母親と、そして何時までも消えない罪の意識を思い出していたのだろう。どうしようもなくなって家に帰ってきたという事なのか。
「それでどうして帰ってきたんだ」
「ティエリアに会いたくなった」
これには流石に絶句する。ティエリアは元来、人に必要とされる事に慣れていない。
どうしよう、なんだか顔が熱いな――。
何の返事も返ってこなくて、ようやく刹那が顔を上げると今度はティエリアがやはり顔をそらしてあちら側を向いている。
「ティエリア?」
「なんでもないよ」
「俺、何か気に触るような事を言ったのか」
違う、とは言わなかった。ただ彼の頭に乗せた掌で優しく何度も撫でてやった。
手を止めて視線を戻すと待っていたと言わんばかりの刹那の視線と交差した。
「昼は食べていくんだろ?」
「うん」
「では3人分作るとしよう」
「3人?」
「今日はスメラギが遊びに来る。久々のオフらしい」
「そうか。俺も彼女に会うのは久しぶりだ」
しがみついた態勢はそのままに、刹那はもう一度顔を埋めるが、先程よりは身体の力も抜けてまとう空気が柔らかくなっていた。
ティエリアは刹那の髪に触れていた手を、そのまま軽く抱くように相手の背中へと回す。
器用にマウスでパソコンを操作する音だけがリビングの空間に響いていた。
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まだまだ彼も成長期。そしてティエリアも精神的には成長期。
お互いに成長しあえる存在だと思う。
2008.3.24
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